学校は耐える場ではない 不登校中学が目指すバーバパパの理想と現実
子どもが、担任の先生も授業を受ける場所も時間割も自分自身で選び、職員室でお弁当を食べてもおしゃべりをしてもいい。
4月に開校した不登校特例校、岐阜市立草潤中学校は「学校らしくない学校」だ。
「学校に行けなくなった子どものチャレンジのための学校ではなく、学校の側が子どもの信頼を取り戻す再チャレンジの学校」
構想時からかかわってきた塩瀬隆之・京都大学総合博物館准教授に聞いた。
――開校除幕式で「理想の学校は(絵本の)『バーバパパのがっこう』」とスピーチしました。
学校は、本当は生徒中心につくられているはずで、生徒が望むものを、望むかたちで提供すべきなのに、教える側が、自分たちの都合で、自分たちが教えやすいようにやってしまっている学校も少なくありません。
お客さんを並ばせておいて、「面倒くさいから注文はぜんぶチーズバーガーにして! 食べるときは、ポテト、コーラ、バーガーの順番で順序よく食べて」と命令してくるハンバーガー店があったら嫌ですよね。
「言うとおりに食べておけば栄養になるから」と言われても、やっぱり自分で選びたい。食べたくないものもあるし、食べたくないときもある。
たしかに、子どもだけに選ばせていたら、ハンバーガーしか食べない子もいそうな気もするけれど、どうやって選べばいいのかを一緒に考えながら教えて、バランス良く、すべてを食べられるようになればいいわけです。
すべてを生徒に合わせる学校らしくない学校というのは、まさに「バーバパパの学校」そのものです。
子ども一人ひとりの得意なことを伸ばしていって、子どもたちがもっと勉強したいと思ったその瞬間の先に先生の授業があれば、子どもたちの食いつき方も違ってきます。
先生を排除しているのではなくて、先生の教える技術や知識も大事だけれど、それが子どもに届くタイミング、その瞬間を提供したいというのが、草潤中学校です。
これまでは、学校に行かない決断をした子は、教育を受ける機会から排除されてきました。義務教育は、国民が教育を受けることが義務なのではなくて、教育の機会を提供する義務を国が負っているということです。
それなのに「学校に行け。学校にいかないとダメだ」と締め付けられ、「行かない子が悪い」「行けないことが悪い」と責められて、子どもたちは苦しんでいた。学校は苦しんでまで行くところではありません。
――「理想の学校」のスピーチには、大きな反響があったそうですね。
9割は賛同してくれる意見でしたが、1割ぐらい、クレームのコメントがありました。「甘やかしている」「大人になって適応できない」「思い通りにならなくても我慢するのが学校だ」という批判です。
でも、子どもが学校に苦しん…
【視点】1人ひとりのタイミングを待つこと。実はその大切さをある先生方たちの集まりで聞き、一人の親としてできていないことを反省しつつ、学校がそういう場であったらどんなに安心だろうと思ったばかりでした。けれども画一的な学校運営(それが一定の水準を担保し