「天国で仲良くしてますか」祈りのキャンドル、紀伊半島大水害10年

直井政夫
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 2011年の台風12号による土石流などで死者・行方不明者が98人にのぼった「紀伊半島大水害」から4日で10年。被害が集中した奈良や和歌山の被災地では追悼の行事が営まれ、遺族らは鎮魂の祈りを捧げた。

 死者・行方不明者が29人となった和歌山県那智勝浦町。中でも大きな被害を受けた同町井関にある「紀伊半島大水害記念公園」で4日、追悼式(那智谷大水害遺族会主催)があり、遺族ら約60人が出席した。

 被害が出始めたとされる午前1時。犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑前で29個のLEDキャンドルに明かりがつけられた。遺族らが1分間、黙禱(もくとう)し、手を合わせた。

 遺族会代表の岩渕三千生(みちお)さん(60)は「みんな、天国で仲良くしていますか。二度と水害が起きないように、見守ってよ」と、29人をあらわすキャンドルを見つめた。「10年は区切りじゃない。何年たってもつらい気持ちは変わらない。この日がくるたびに仕事が手につかない」という。

 大水害でおいの紘明(ひろあき)さん(当時15)を亡くし、一緒に復旧作業をしていた父の三邦(みくに)さん(当時76)は体調を崩して心筋梗塞(こうそく)で倒れ、災害関連死に認定された。

 10年前の9月3日、岩渕さんは町から約20キロ離れた三重県紀宝町の自宅にいた。降り続く雨で近くの川があふれ、床上浸水した。

 「ただごとではない」。紘明さんと三邦さん、母の3人が住む実家に電話をしたが、つながらない。那智勝浦町に住む友人から「どえらいことになった」との知らせが入ったが、道路はあちこちで通行止めとなり、動きがとれなかった。翌4日昼になって、ようやく実家にたどりついた。

 実家のある井関地区では、近くの那智川が氾濫(はんらん)。濁水が道路にあふれ、巨石や流木、流された車などが民家にぶつかっていた。実家は大木が突き刺さって傾き、弟から紘明さんが行方不明になったと聞いた。

 紘明さんら3人は2階に避難したが、水が押し寄せてきた。紘明さんは窓ぎわから流されそうになった祖母をつかんで連れ戻し、三邦さんに渡した。その直後、ドンと木がぶつかる音がした。紘明さんは流され、5日後に遺体でみつかった。

 岩渕さんは和歌山県立新宮高校の野球部副主将をつとめ、甲子園をめざす球児だった。岩渕さんを慕う紘明さんも地域の硬式野球チームに所属し、「(岩渕さんの)近くにいたいから」と親元を離れて甲子園を夢見ていた。

 岩渕さんは、紘明さんの同級生に会うたびに思う。生きていれば25歳。「紘明はプロ野球選手になれただろうか。いや、あいつの実力だと、無理かなぁ」。悔しさ、悲しさ、さまざまな思いが募る。

 大水害の翌12年、町内の遺族は「那智谷大水害遺族会」をつくった。町はこの年、岩渕さんの実家跡などを買い取り、記念公園を整備した。遺族会がそこに慰霊碑をたてた。岩渕さんは母と公園の清掃を続けている。

 遺族会は12年、写真集「紀伊半島大水害 あの日、那智谷で何が起こったのか」を作成した。岩渕さんらの呼びかけに約1万点の写真が集まり、約850枚を選んで掲載した。約7千部を販売し、売上金は広島や熊本などの被災地へ送ってきた。今年7月に土石流被害のあった静岡県熱海市へも届ける予定だ。

 大水害の風化が心配という岩渕さん。町内でも被害のなかった地域では関心が低いと感じる。「犠牲になった29人に託された使命だ」。そう誓い、記憶をつなぐ活動を続ける。(直井政夫)