香取慎吾「パラと出会い自分は変わった 終わった今がその始まり」

聞き手・榊原一生
[PR]

 東京パラリンピックが幕を閉じた。2015年ごろからパラスポーツやパラリンピックというものに向き合って、自分は変わった、進化した、ということは確信をもって言えます。

 車いすラグビーやゴールボールなど車いすに乗って生活する選手や目の見えない選手たちのことを知り、障害のある人たちとの距離は近づいたように感じる。車いすの人とは腰をかがめて目線を合わせ会話をしたり、視覚に障害のある人には自分の腕を持ってもらって案内をしたり。接し方の幅が、自分の中で広がってきました。

 かつては、気にはしていたけれど、声を掛けられないとか、行動に移せずに引いてしまっていたことを考えれば、大きな変化です。違いを知ること。それが、多様性を理解することにつながり、共生社会実現への一つのきっかけとなるんだと感じています。

 選手たちとの交流は、多くのことを僕に教えてくれました。最初は知らないことばかりでした。

 6年前にパラスポーツの競技団体を支えるパラリンピックサポートセンターの設立に合わせて、エントランスに壁画を描かせてもらいました。まず、車いすが浮かんだのですが、何を描けばいいのかが分からなかった。パラスポーツを知らないから。そこで自ら情報を求めて、色々な競技があることを知り、障害についても理解が進みました。また五輪と比べて試合会場に行く人が少ないことや、運営面においても人手が足りないことも教えてもらうことができました。

 次の僕の役目は、それを多くの人に知ってもらうことでした。幸いにも僕は30年以上もエンターテインメントの世界でやってこられたので、広める力は多少なりとも持っている。パラアスリートのすごみや競技の魅力なども、自分の言葉やフィルターを通して伝えたいと思ってやってきました。

 僕を通じてパラスポーツを知った方から、こんなコメントをいただきました。

 「子どもに障害があってうつむいていたけど、今はどんな競技をやらせようかと考えています」

 障害のある子どもたちが、周囲の勧めでパラスポーツに出会うこともそうだけど、親御さんがパラの世界を知り、子どもに「やってみたら」と言える世の中に少しでもなれば、向き合い続けている意味を感じることができます。

 大会は新型コロナウイルスの影響で1年延期となり、開催の是非をめぐって、選手に向けて心ないネガティブな言葉もあふれました。本番はほとんどの会場で無観客となり、通常時の大会ではないということは頭では分かっています。ただ、表彰式のメダルプレゼンターとして国立競技場を訪れた時、悔しい感情が湧き上がってきました。

 陸上男子400メートル、1500メートル(車いすT52)で佐藤友祈選手が金メダルに輝き、ポールの高いところに昇っていく日本国旗に喜びを感じました。と同時に空席の観客席や競技中の静けさが思い出され、通常開催ならより多くの将来を担う子どもたちがアスリートのパフォーマンスや頑張りにじかに触れていたのかと思うと、もどかしさも脳裏をよぎりました。

 ただ、悪いことばかりじゃない。家のテレビで競技を見て応援すれば、次は会場に行ってみたい、と思うきっかけにもなります。6年前にパラに魅せられた僕と同じ状況が、今のみんなにも起こっている、そう思うと将来が楽しみでなりません。自分が変わり、社会や世界が変わる。東京パラリンピックが終わった今がその始まりです。(聞き手・榊原一生)

     ◇

 かとり・しんご タレント。44歳。1988年にSMAP結成。ドラマや映画などに出演。解散後は稲垣吾郎さん、草彅剛さんと公式ファンサイト「新しい地図」を設立。今大会は国際パラリンピック委員会の特別親善大使としてメダルプレゼンターなどを務めた。