社長やめ、アフロでパラリンピック巡る旅 メキシコのパラ伝道師

波戸健一
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 「バモス!」。

 すべてのレースが終わった夜10時、パラリンピックの競泳会場に陽気なスペイン語が響く。マイクを手に声を張り上げるレスター・グアンタナメラさん(51)は、パラリンピックに出会って人生が変わったメキシコ人だ。

 世界中どこへ行ってもアフロへアーに半袖、短パンがお決まりのスタイル。ラテンアメリカのパラ選手を中心に取材し、SNSなどで発信している。約3万人のフォロワーがいる。

 以前は広告会社の社長だった。「多くのメキシコ人と同じように、パラリンピックに出るのは病気の人、車いすの人というぐらいにしか思っていなかった」

 転機は2000年シドニー五輪だった。メキシコ国歌を聴きたくて、五輪のテレビ中継を見ていた時だ。五輪の公開競技として行われた車いす陸上の選手が入場してきた。

 「正直に言うと、その時の僕は障害者なんか見たくないと思っていた」。テレビの向こうで男子車いす1500メートルのレースが始まった。メキシコ代表のサウル・メンドーサが先頭を走る。前傾姿勢で懸命に車輪を回す姿に引き込まれた。

 「気がついたら、バモス! サウル(サウル行け!)って大声で応援していた」。金メダルをつかんだメンドーサが表彰式で涙を流した。テレビの前で起立して大声で国歌を歌い、号泣した。

 「自分には学歴も、お金もあった。成功者だと思っていた。でも無知だった。彼らの存在を知らなかったんだから」。初めて味わった感動を忘れられなかった。「パラリンピックの世界を教えてほしい」。面識がなかったメンドーサに、思い切って連絡を取った。

 08年北京大会を初めて現地で観戦した。選手にインタビューを重ね、幾つか番組を作った。パラスポーツを知れば知るほど魅了された。

 「これは多くの人に伝えるべきムーブメントだと思った」。少し高価なカメラとマイクを買った。パラスポーツを巡る旅が始まった。

 夏冬のパラリンピックだけではなく、世界選手権や国際大会にも足を運ぶ。「僕はジャーナリストやコメディアンじゃない。職業はパラに関わる人の心と、パラを知らない人の心をつなげるキューピッドかな」。カメラの前での情熱的な実況も、派手なアフロへアーも、パラに興味がない人を振り向かせるためだ。

 「僕が元気に「オラ」(こんにちは)とあいさつして、この選手はすごいんだって紹介したら、僕の仕事はそこまで。それで興味を持ってくれて、『アフロ』『パラリンピック』って検索してくれたら、きっと世界が広がるはずさ」

 スポンサーから援助を受けているが、なかなか活動資金は集まらない。パラリンピックに人生を捧げるために会社をたたみ、15台も持っていた車は1台になった。何人かいたガールフレンドも離れてしまった。

 それでも「今の方が幸せだ」と笑う。「以前の僕は障害のある人を見て、足がない、目が見えない、できないところばかりを見ていた。それは自分の人生も同じで、自分の欠点や持っていない物ばかりが気になっていた」と回想する。

 今は違う。「できること、持っているものに焦点を当てることで、心が豊かになることを知った。パラリンピックが人生のフォーカスを合わしてくれた」

 次のパラリンピックの舞台、中国・北京にも向かう予定だ。(波戸健一)