京阪の名車、解体まぬがれたが痛々しい余生 尽力も維持管理難しく

菱山出
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 大津市京都市を結ぶ京阪電気鉄道京津(けいしん)線で活躍した名車「80形」が、滋賀県北部の地でひっそり余生を送っている。塗装の一部がはげ落ちてさびが広がり、周囲には雑草が生い茂っている。鉄道ファンには痛々しい姿となっている。

 京阪などによると、80形は1961年から70年までに16両が製造された。京津線は一部の区間が道路を走行する併用軌道。路面の停留所があり、急勾配と急カーブの厳しい路線だ。これらの条件をクリアするため、長さ15メートルの小型の車体は、当時としては最先端の技術を凝縮した画期的な設計だった。

 小型で高出力なモーターを採用。高加速、高減速ができた。モーターを発電機として使用し、減速時の運動エネルギーを電気エネルギーに変換してブレーキをかける「回生制動」機能を備えていた。発生した電力は架線に戻され、走行中の他の電車が使用するエコな電車でもあった。

 外観は車体全体が丸みを帯び、濃淡グリーンのツートンカラーと、ヨーロピアン調の軽快なデザイン。運行区間は主に京都の四宮(しのみや)―京津三条間で、路面の停留所では、ホームと車両の段差を緩和する目的で、ドアが開くと自動的に乗降ステップが出る装置が組み込まれていた。

 97年10月、京都市営地下鉄東西線の開業で京津三条―御陵(みささぎ)間が廃止され、廃車となった。

 京阪広報部の担当者は「京津線沿線の宅地開発が進むなかで、通勤車両としてラッシュ時の輸送力を支えた。濃淡グリーンのツートンカラーで観光電車としても活躍してくれた」と感謝する。

 「歴史に残る名車を消滅させるのは後世に悔いが残る」と、80形ファンの有志が2003年6月にNPO法人「京津文化フォーラム82」を設立。最初に製造された81、82号の2両編成は解体を免れ、82号は石山坂本線近江神宮駅の錦織(にしごおり)車庫(大津市)でNPOが管理。81号は京阪が先頭部分をカットし、保存することになった。

 しかし、82号は西日が当たって右側面の塗装がはげ落ちてしまった。NPO側も維持、管理が難しくなり、理事で電車好きの妹尾友希子さんが京阪から無償で譲渡を受けた。運送費用は妹尾さんが負担。高島市に取得した土地に線路を敷き、15年11月に「引っ越し」。その翌年、妹尾さんは48歳で死去。NPOも17年6月に解散した。

 弟の田中真一さん(50)によると、妹尾さんは生前、82号を引き受けたことについて、男の人がフェラーリを買うようなものと説明していたという。「できれば公開したい。しっかりした財源のある団体や個人に譲れるといいのですが」と田中さん。

 NPOの理事長だった橋本光弘さん(48)は「80形は貴重な鉄道文化遺産でもある。このまま朽ち果てさせるのは忍びない。保存に協力してくれる人がいれば、ぜひ一緒にやっていきたい」と話している。(菱山出)