色川大吉さん死去、県内にも惜しむ声

岩城興、永沼仁、吉沢龍彦

 明治時代の民衆が作った「五日市憲法草案」を旧家の土蔵から発見したことで知られる歴史家の色川大吉さんが7日、亡くなった。96歳だった。1990年代後半に移住した山梨県北杜市で最期のときを迎えたという。交流のあった人たちから惜しむ声が上がっている。

 病気と闘いながら仕事をまっとうするために北杜市に移住した色川さんは、地元の人と親交を結びつつ、研究・執筆活動を旺盛に続けた。約3年前から介護が必要になり、車いすで生活していたという。

 地元発行の文芸誌「ぜぴゅろす」に度々寄稿した。発行人の桜井節さん(85)によると、2年前に自宅を訪ねた際も次の著作への意欲を語っていたという。同年寄稿の詩「答え」には、「最期まで この世に生きていることの 目標を捨てまいということ!」と記されている。これが同誌最後の作品になった。

 北杜市浅川伯教・巧兄弟資料館の元館長、沢谷滋子さん(68)は「未来に希望を失わず、とりわけ若者に期待を抱いていた。謙虚で様々な人から学ぼうと努めていた」と話す。

 出会いは95年ごろ。当時勤務していた旧・長坂町郷土資料館(現・北杜市郷土資料館)に色川さんが訪ねて来た。明治維新が地元に残したものをテーマに展示をしていた。「友人から聞いていたが、素晴らしい」と褒めちぎってくれた。

 ある日、「金髪にしたいんだ」と言われて面食らった。聞くと「中田英寿みたいになりたい」。サッカーの中田選手は98年の仏ワールドカップに金髪で出場した。知りあいの美容院を紹介すると行きつけになった。「ちゃめっ気もあり、とても魅力的な方でした」

 甲府市の山梨平和ミュージアムの浅川保理事長(75)は、学生時代に自由民権運動の講義を受けた。ミュージアムで講演をしてもらったこともある。「学徒動員され、自身も亡くなるかもしれないという体験が研究の原点にあった」とその死を悼んだ。

 山梨9条の会代表世話人の椎名慎太郎・山梨学院大名誉教授(81)は「活動を勇気づけてくれました」と振り返る。第二次安倍政権の安保法制に反対する集会で会ったのが最後だった。

 甲府市などの観光振興計画づくりに携わってきた山梨県立大の吉田均教授(62)は、東京経済大で色川さんに学んだ。現在の専攻分野は学生時代の研究テーマとは異なるが、「地方自治体の政策に住民が参加することを大切にしている。色川先生の話を聞き、自分の中にしみこんでいることです」と話した。(岩城興、永沼仁、吉沢龍彦)