美術館の地下が生んだ世界の前衛 大阪の美術研究所が休止、縮小へ

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田中ゑれ奈
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 大阪市立美術館天王寺区)の半地下で70年あまり、美術を志す人々の学びの場として愛されてきた美術研究所。戦後関西の前衛芸術の「ゆりかご」としても貢献した通称「美研(びけん)」が今、岐路に立っている。美術館はその全国でも珍しい存在意義を重視しつつも、改修にともない来年秋から予定されている休館を機に、活動場所とカリキュラムの大幅な縮小という選択を迫られている。

写真・図版
大阪市立美術館の地下1階にある美術研究所。石膏像が並ぶ静謐(せいひつ)な空間で、扇風機の羽音が聞こえる=大阪市天王寺区茶臼山町、田中ゑれ奈撮影

創設は終戦の翌年 有名作家が輩出

 エアコンのない制作室には石膏(せっこう)像とイーゼルがひしめき、数人の男女が黙々と木炭を動かしている。現在、研究生は20代から90代まで約130人。月曜日から土曜日まで好きな時間に来て制作を進め、美術団体の会員や大学教員として活動する講師の指導を受ける。毎日通う人から月に数回顔を出す人まで、目的もプロの画家や彫刻家をめざす人から趣味として楽しむ人まで幅広い。

 美研は終戦の翌年、1946年に創設された。洋画家の小磯良平前衛美術集団「具体美術協会」を後に率いる吉原治良(じろう)らが講師を務め、具体メンバーの白髪一雄やベネチア・ビエンナーレ日本代表になった宇佐美圭司ら、世界的なアーティストも多く輩出した。まだ美術系大学の少なかった時代には美術家の登竜門であり、美大の受験予備校としても機能した。

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 そんな美研だが、予算面では「どうしても持ち出しがある」と美術館総務課の塚田義(ただし)課長は話す。

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