あの穴の前で毎日人が殴られた 戦争末期の「タチソ」体験語る90歳

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森直由
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 太平洋戦争末期、大阪府高槻市内に掘られたトンネル群「タチソ」。ここに動員されたという梅田和子さん(90)=同市=が、市内で8月に体験を振り返り、市民ら約100人が耳を傾けた。梅田さんは「当時のことを、一緒に語る人がいなくなってしまったのが残念だ」と話した。

 1941年、大阪市から高槻に引っ越した。45年1月、当時の茨木高等女学校に転校。学校の敷地内にあったプレハブ小屋で、軍が管理する長さ約15センチの棒状のチョコレートを包装する作業を始めた。

 45年春、タチソに行かされ、馬の世話などをした。「多くの住民は、穴を掘っている計画を知らなかったと思う」。だが、米軍機は米兵の顔が分かるくらいまで急接近してきた。「米軍には、タチソの存在がばれていたのではないか。撃たれなかったが、恐怖で足がすくんで動けなかった」

 タチソにいた兵隊も、戦況の…

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