「政治は政治。国民は国民」日韓関係、ピンデトッつつきながら考えた

有料会員記事韓国大統領選挙2022

ソウル=神谷毅
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 来年3月9日の韓国大統領選まで、あと半年となりました。韓国の市井の人と一緒に選挙のテーマをめぐる現場をたどり、言葉を交わし、ともに考える企画をお届けします。初回は7月に日本で公開された映画「アジアの天使」でプロデューサーを務めた映画監督の朴庭範(パクジョンボム)さん(45)です。

 「アジアの天使」は、映画「舟を編む」の石井裕也監督が韓国で撮影した。日本で妻を亡くした青木剛池松壮亮さん)が、兄の透(オダギリジョーさん)を頼ろうと幼い息子とともにソウルに赴く。兄の事業はうまくいかず、3人は再起のため韓国北東部の江原道(カンウォンド)へ。そこで売れない韓国人歌手の女性と、その兄妹に出会い、言葉も通じない家族同士の旅が始まる――。

日韓関係 考えるヒントを求めて

 朴さんへの取材を思い立ったのは、「相互理解」を描いたこの映画をつくるきっかけが、石井監督との長い交流にあったと知ったからだ。

 石井監督や池松さん、オダギリジョーさんら少数の日本勢が韓国を訪れ、あとはほとんどが韓国人という撮影の現場に、国交正常化以後で最悪ともいわれる日韓関係を考える材料があるのではないかと考えた。

朴さんに連絡し、「石井監督との交流の現場で話を聞きたい」と頼むと、ソウル中心部の広蔵市場の屋台を指定されました。「やっぱりお酒でしょう。マッコリと広蔵市場名物のピンデトッ(緑豆のお好み焼き)の組み合わせです」。午後4時。マッコリはなめるぐらいにして、ピンデトッをつつきます。そして、取材が始まります。

 ――石井監督とはいつから交流を?

 「2014年の釜山国際映画祭でともに審査員を務め、期間中の1週間ほど毎日、酒を酌み交わしました。クネクネ動き続けるコムジャンオ(ヌタウナギ)を焼く料理には石井監督も驚いていた。その後、私が石井監督の家を訪れたり、途中から池松さんも合流したりしてソウルや東京で会うようになりました」

 「互いの言葉ができるわけではないから片言の英語。細かなニュアンスは伝えにくいけど、表現が単純なぶんズバッと聞いたり答えたりできる。自国語では言いにくいことも。むしろ本質に近づけた。僕は『苦痛は人間の存在そのもので、苦痛があるから幸せを感じる』なんて言ったこともあります」

 ――この映画を韓国で撮ることになったのはなぜですか?

 「石井監督と話すなかで、『互いに相手の国に行って監督として映画を撮り、もう一方がプロデュースしよう』と約束した。20年2、3月の2カ月にわたって撮影しました。ちょうど大邱で新型コロナウイルスの集団感染があったが、なんとか撮り終えました」

 「韓国の撮影現場では、木の箸にするか鉄の箸にするかまで監督の許可が必要。日本は担当者に任せ、それを監督がコントロールする。スタッフから何でも聞かれる韓国の撮影現場に、石井監督は最初のうちは適応できていなかった。ところが撮影の終盤にさしかかるころには、笑いながら受け止めて。目は笑っていなかったけど。撮影現場は中盤から家族のような雰囲気だった。一生に一度だろうと思えるほど温かい交流でした」

空しくぶら下がる日本語メニュー

 広蔵市場は「伝統市場」「在来市場」といわれ、韓国でも数が少なくなってきた昔ながらの市場の姿を保っている。赤や青など原色をふんだんに使った高齢者向けの衣料品から、食欲をそそる濃いにおいを漂わせるB級グルメまで、多様というかカオス(混沌(こんとん))というか、エネルギーにあふれる場所だ。

 20年近く前の話になるが、屋台の店主の女性が韓国語を全く解さない私(筆者)に、懸命に身ぶり手ぶりを交えて料理の説明をしてくれたことを思い出す。何を言っているのか、さっぱり分からなかったが、どこか心は通って笑顔で別れた。

 コロナ以前は、韓国人だけでなく日本人を含む外国人観光客の人気スポットで、平日の昼間でもごったがえしていた。かつての活気は今やどこへ。人影はまばらだ。ある店には、日本語のメニューがむなしくぶら下がっていた。

 そんな場所だからこそ、日韓のふれあいを思い起こし、改善の機運さえみえない日韓関係を考えるには、ふさわしいと感じる。

    ◇

 ――日韓関係が最悪といわれるなかでの撮影でした。

 「映画にも出てきます。池松…

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