ジャーナリストの安井浩美さん(前編) 【連載】アフガニスタンを思う①
イスラム主義勢力タリバンが政権を崩壊させたアフガニスタンから、自衛隊機で国外退避した唯一の日本人である安井浩美さん(57)が、朝日新聞の取材に応じました。
自衛隊機に乗り込めたのが、安井さんだけだったのはなぜなのか。空港周辺の緊迫した状況が、証言によって浮かび上がります。
大阪生まれの安井さんは、アフガニスタンで30年近く取材を続けてきました。共同通信社の通信員を務め、現役の外国人記者のなかで最も長く現地の暮らしを見つめてきたジャーナリストです。
安井浩美(やすい・ひろみ) 洋服店の店長をやめて世界を旅した後、編集社カメラマンや旅行ガイドをしながら、1993年から内戦下のアフガニスタンを取材。2001年に移住し、共同通信社カブール通信員として働く傍ら、女性や子どもの支援活動にも取り組んできた。
タリバンが権力を掌握し、状況が一変した首都カブールを離れたのは、政権崩壊から12日後の8月27日でした。
――アフガニスタンから自衛隊機で脱出しました。
「自衛隊機が滑走路を走り出したとき、後ろ髪を引かれる思いだった。一番考えていたのは家族のこと。アフガニスタン人の夫たちを置いて、国を離れるわけだから。『絶対にここに戻ってくるぞ』って、心の中で叫んだの」
――離陸時に街は見えましたか。
「カーテンが少し開いた窓があって、わずかに外が見えたの。自衛隊機が走り出して、すごいスピードで景色が流れていってね。これまで何度走ったか分からない滑走路よ、いつもの滑走路。でも、『いつ戻れるのかな』ってね。最後の最後まで、名残惜しかった。滑走路脇の建物、その奥の住宅街、私の好きなアフガニスタン……。ほんの数秒で、見えなくなってしまった」
――カブールからパキスタンの首都イスラマバードまで、1時間ほどですね。機内では何をしていたのですか。
「スマホで趣味のゲームをしてたの。とにかく気を紛らわせたかったから。タリバンがカブールを占拠してから、ゲームをする暇もなかったことに気づいて」
「そのまま日本に向かう選択肢もあったけど、できるだけ家族のそばにいたかった。それで日本には向かわず、イスラマバードにとどまったの。イスラマバードにいればアフガニスタンの情勢もつかみやすいしね」
記事後半では、紆余曲折があった安井さんが自衛隊機で出国するまでを振り返ります。出国前に夫と交わした言葉、そして当時の空港の生々しい状況が語られます。
――いつごろから退避を考え始…