天正遣欧使節・千々石ミゲル、棄教の真偽は? 墓所推定の地で説明会

森川愛彦
[PR]

 16世紀の天正遣欧少年使節の1人、千々石ミゲルが妻と共に埋葬されたと推定される墓所の発掘調査長崎県諫早市で進められている。4人の使節の中でただ1人棄教したとされているが、実は信仰を捨てていなかった可能性があると調査チームは発掘に期待している。チームが「最終調査」と位置づける今回の調査で何がわかったのか。12日、現地説明会と調査指導委員会が開かれた。

 2017年の調査では、妻の墓からロザリオの一部と見られるガラス玉類が出土した。夫の墓から同様の副葬品が見つかれば、信仰を捨てていなかった証拠になるという。

 現地説明会で解説した発掘責任者の田中裕介・別府大文学部教授によると、今回、ミゲルの可能性がある頭骨や胸骨が出土した。また、木棺のふたなどを留めていた釘約40本や、16世紀ごろのものと見られる石鍋の破片などが出土。被葬者は長さ140センチ、幅55センチ、高さ40~50センチの木棺に、頭を西、足を東に向けた状態で収められていたことが判明した。

 墓碑の本来の位置や墓の作り方もわかり、当初から夫妻の墓所として一体で造営されていたことも明らかに。墓碑に妻の死の2日後に夫が死亡したことが書かれていることから、墓碑の記述が正しいこともわかったとしている。

 副葬品はまだ見つかっていないが、今後数日かけて、さらに10センチ弱掘り進める過程で出土する可能性があるという。

 また、被葬者がミゲルかどうかを確認するため、出土した骨の形状から性別や年齢を調べ、歯が出土すれば、調査チーム代表でミゲルの子孫にあたる浅田昌彦さん(68)との間でDNA鑑定をすることも検討するという。

 現地説明会のあと、谷川章雄・早稲田大人間科学学術院教授を委員長とする考古学の専門家による調査指導委員会が開かれた。

 谷川教授は17年の調査でロザリオと見られるガラス玉類が見つかっていることを踏まえ、調査の現況について、「潜伏期のキリシタン墓の構成要素である墓碑、埋葬施設、人骨、副葬品がそろった稀有(けう)な事例で、文化財としての価値は高い」と評価した。

 ただし、ミゲルの墓かどうかについては「現状では断定できない。今後、人骨から性別や年齢を鑑定することが大事だ」と述べた。ミゲルの棄教についても「上級武士の墓なら刀の1、2本は出土してもおかしくないが、まだ見当たらない。ただ、キリシタン墓には副葬品が少ない傾向があり、キリシタン関連の副葬品が出ないからと言って、棄教の有無は断定できない」と話した。

 調査をしている墓所はミゲルのかつての領有地にあり、03年に見つかった。江戸時代に大村藩家老を務めた浅田家の所有地で、浅田家にはミゲルの四男千々石玄蕃の娘が嫁いでいる。調査は14年、16年、17年に行われ、第4次調査になる今回は夫妻の墓のうち、ミゲルが埋葬されたと推定される南側の墓が対象。8月23日に開始し、これまでに地表から深さ140センチまで掘り下げた。

 今回を最終調査と位置づける浅田さんは「ミゲルの晩年の信仰の有無については確認できる段階ではなく、今後の専門家の研究を待ちたい。ただ、建設当初の墓碑の位置が確認でき、妻に続いてもう一人の骨が出て、調査の成果は十分あった」と話している。(森川愛彦)

 千々石ミゲル 1582(天正10)年、伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンと共に九州のキリシタン大名3人(大村純忠、有馬晴信、大友宗麟)の名代としてローマに派遣された天正遣欧少年使節の1人。大村、有馬両氏の親族にあたる。長崎を出港し、85年にローマ教皇に謁見(えっけん)。90年に活版印刷機などを携えて帰国し、豊臣秀吉に西洋音楽を披露した。他の3人がその後、キリスト教の司祭になったのに対し、ただ1人、棄教したと伝えられている。