(聞きたかったこと 広島)語り続ける 涙と共に

有料会員記事核といのちを考える

蜷川大介
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 原爆が投下された広島で苦しみながら亡くなった人々のことを、看護師だった鶴羽カホルさん(95)=徳島県阿南市=は忘れられない。19歳で目にした悲惨な光景を語ろうとする時、涙が出て止まらなくなる。

 徳島県で生まれ育ち、1942年春、高松市にあった日本赤十字社の看護師養成所へ進んだ。戦況悪化のあおりで3年制課程を2年で繰り上げ卒業した。しばらく故郷で過ごした後、44年夏に現在の広島市中区にあった広島陸軍病院江波分院(後の広島第一陸軍病院江波分院)へ配属された。日赤徳島支部から派遣された21人の看護師の1人だった。

 宿舎は広島市の中島本町にあった。いまは平和記念公園になっている場所だ。川をはさんで広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)のモダンな建物が見えた。路面電車で約3キロ離れた分院へ通い、結核、赤痢、腸チフスなどの感染症患者の治療にあたっていた。

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