祖父母と自宅失った大学生、石巻の津波跡地に被災後初めて「下りた」

原篤司
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 「前向きな気持ちにブレーキがかかりそうで、行くのが怖かった」。宮城県石巻市の宮城学院女子大3年、阿部明日香さん(21)はこの夏、東日本大震災の津波で自宅が流された石巻市の門脇・南浜地区に10年ぶりに「下りた」。今の自宅はすぐ近くの高台にあるが、ずっと近づけなかった。

 震災時は、近くの門脇小4年生。あの日は学校で大きな揺れを感じた後、校舎裏の日和山に階段で上がり、石巻高校のトレーニング室に避難。持って逃げたのは上靴だけで、コートもランドセルも津波による小学校の火事で燃えてしまった。市内の勤務先からそのまま避難していた母の恵さん(59)と会えたのは3、4日後だった。

 自宅にいたのは、脳梗塞(こうそく)を患い寝たきりの状態だった祖父・博さん(当時81)と、祖母・ましゑさん(当時75)。恵さんは被災後、津波から命からがら逃げて助かった近所の人に、「ましゑさんに避難しようと声をかけたけど、『夫を置いて逃げるわけにいかない』と言われた」と聞いた。石巻市南浜1丁目にあった自宅は近くの家々とともに壊れて流され、博さんとましゑさんは別々の場所で遺体でみつかった。

 阿部さんは高校の避難所から近くのアパートに引っ越し、その後は恵さんに「100%津波が来ない所に住みたい」と無理を言い、同じ高台に家を建ててもらった。祖父母との思い出がつまった街が跡形も無くなった様子は見たくなかったし、「何より怖くて、行かないまま月日が過ぎた」。

 だが今年7月、大学の幼児教育を専攻する学生向けの研修会が門脇・南浜地区で開かれることになった。阿部さんは迷ったが参加することに。母の恵さんは「当日、取り乱したり歩けなくなったりしたら大変だ」と心配し、研修会の1週間前に阿部さんを連れて、今は広大な津波復興祈念公園の中にある自宅跡地などに行ってみた。大丈夫だった。

 研修会の当日。阿部さんは津波と火災で園児5人が犠牲になった日和幼稚園の遺族の話を現地で聞き、自宅跡地のそばや、自分が通っていた門脇小にも行った。他の学生と同じように過ごせたが、展示されていた子供の遺品や火事で焦げた跡が残る小学校舎は直視できなかった。「やはり、来るだけで気持ちがいっぱいいっぱいになった」。会が終わって家に着いたとたん、ソファに倒れ込むように寝てしまった。

 ただ、10年の歳月は阿部さんを強くしていた。

 震災後の阿部さんは、気分が塞ぎ小学校にいる時間以外は家にこもるようになっていた。6年生の夏、恵さんは外出のきっかけにと、発足メンバーを募集していた「石巻ジュニアジャズオーケストラ」への入団をすすめた。津波でピアノを失い音楽から遠ざかっていた阿部さんは、悩んだ末に入ることにした。

 テナーサックスを夢中で練習し、活躍。楽団は「震災復興に奮闘する人たちを元気づける」のが発足のコンセプトだ。地元の音楽祭や行事の他、全国各地から招待を受けて演奏を披露した。今は「ジュニア」を卒業したメンバーらでつくるバンド「シェア」で活動しながら、ジュニアの児童・生徒たちの面倒も見ている。

 被災以来、いろんな支援や優しさをもらったと思う。支援物資としてピカピカの新品のランドセルが届いた時は驚き、自衛隊の人たちは避難所に風呂を作ってくれた。親が働いている小学生のために、避難所に放課後児童クラブのような場を設けてもらえ、新しい友達ができた。

 「私は被災経験をみんなに話すようなことは得意じゃない。自分なりに、音楽で街を、人たちを元気づけていきたい」と言う。7月の研修会では、幼稚園教諭や保育士には災害から子供の命を守るという重要な役目がある、と再認識した。卒業後は石巻で働くつもりだ。(原篤司)