わたしがパラの中継役に?流れた涙 作家・岸田奈美さんが考えた幸せ

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作家・岸田奈美さん寄稿

 「パラリンピックとか、目指したらええやん」

 15年前、心臓病の後遺症でまったく歩けなくなった母のとなりで、よく聞いた言葉だ。あまりに落ち込む母を励ますための言葉だということはわかった。だからなにも言えず「アハハハ……」と情けない苦笑いだけが響いた。

 障害のある人がスポーツに打ち込むと、それだけでなぜか、やたらと褒められることがある。

 わたしたちは、亡くなった父をのぞいて、筋金入りの運動ぎらい一家である。ダウン症で生まれてきた弟も、筋肉の緊張低下があるので、かけっこはいつもビリだった。たとえ電車に乗り遅れたとしても、意地でも走りとうない。そういう怠惰なわたしたちだ。

 それでもリハビリで入院中だった母は「絶対に気分転換になるから」と、理学療法士にすすめられて、泣く泣く卓球場へと連行された。

 おぼつかない手つきでラケットを握る母は、コントかと思うくらい、すべての動きが1フレームずつずれていた。コーチから熱い指導を受ける母の表情から「頼むからもうやめとくれ」の悲壮感があふれだしていた。相手からの手加減に手加減を加えた、亀のごとく遅いボールを、母がカコン、カコン、と打ち返し2度、3度、情けないラリーをして、なんとか1点を決めた。ぱらぱらと拍手がわいた。

 「楽しそうにやってはった人らには、ほんまに申し訳ないけど、なんも楽しくない……」

 病室に戻ってから、母は枕をぬらした。卓球を遊びでやってこんなに泣く人がいようか。逆にちょっとおもしろい。母が卓球場に戻ることはなかった。

母をウキウキさせたのは

 昔、弟の育児の不安でいっぱいになった母が、ダウン症の子どもたちのコミュニティーに顔を出したことがある。そこでは耳寄りの情報を手に入れることもできたが、親同士の「うちの子、もうしゃべれるようになってん」「うちはこんなにしゃべれるんよ、そっちはまだなん?」という近況報告がつらかったそうだ。健常者と比べられるのがふびんで、障害者のコミュニティーに来てみたけど、結局どこの世界でも競争はあるんだ。そんな現実を見て、母は、この世の誰とも比べないように育てようと心に決めたという。結果、わたしたち姉弟は、親からべた褒めされて自己肯定感をバリンバリンに高めながら育ったので、結果オーライではあるのだが。

 入院当時の母は歩けなくなり、なにもできなくなってしまったような自分に強烈な絶望感を抱いていた。もはや他人となってしまった過去の自分と、今の自分をどうしても比べて、つらくなってしまう。スポーツにはどうやったって熟練度や勝負がつきまとう。「歩けなくなったけど、スポーツができるようになったから頑張ろう」という魔法のロジックは、残念ながら運動嫌いの母を励ましてくれない。

 母が一転してウキウキしだしたのは、リハビリ施設で教習を受け、自家用車を改造し、手だけで運転できるようになったときだ。歩いていたときと同じように、自分でどこへでも行けるようになった!と母は鼻息荒く興奮していた。

 人は誰でも、好きなことをしているときの自分が好きなはずだ。母も運転をするために、自分で車いすを座席に放り込むための重心移動や筋力トレーニングなど、途方もなくしんどすぎる練習を乗り越えた。でもそれは好きだから打ち込めたことで、自分のためだから尽くせたこと。スポーツもそれと同じだと思う。

 だからわたしは、メディアなどで、障害のある人がスポーツをやっているだけで「感動する!」「素晴らしい!」と絶賛されるのを見るのが好きじゃない。やたらめったら、健常者のスポーツや記録と比べられて、「健常者と比べてずっと難しいのにすごい!」と褒められるのも。障害者のなかでも、厳しい競争や差別は存在するというのに。

 こじらせた苦い思い出と、素直に応援できない後ろめたさを抱えているから、わたしはずっと長い間、パラスポーツへ積極的に関わることはなかったし、観戦に足を運ぶこともなかった。そんなわたしが、なんの間違いなのか、テレビ局の東京パラリンピックの中継コメンテーターに選ばれてしまった。ディレクターさんに「ごめんなさい、わたしはスポーツがあまり好きではないのですが」と恐る恐る申し出ると、「そんな岸田さんだからお願いしたいんです」とのことだった。一体どういうことなのだ。

生まれて初めて涙が

 予習でいくつかの競技の予選…

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