国民へ言葉が届かなかった菅首相、足りなかった孤独 東畑開人さん

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 コロナ禍で政治家から市民に向けて、言葉が多く発せられています。でも届かない――。語る側も、語られる側も、そう感じていませんか。心に残る言葉と残らない言葉の違いは何か。臨床心理士の東畑開人さんは、言葉が届くためにはまず「聞く」を再起動すること、といいます。自民党総裁選、近づく衆院選であまたの言葉が語られている今、改めて「聞く」を考えます。

社会季評

 「なぜ人々は話を聞かないのか」 去りゆく首相の心に、そんな思いが去来しているかもしれない。この1年、首相はあまたの言葉を発してきた。社会の危機に対応すべく、さまざまな説明をし、さまざまな施策を発表してきた。だけど、そのときの言葉を一つでも覚えているだろうか。緊急事態宣言もそうだ。大きな声で呼びかけられたその言葉は、どれだけの耳に届いただろうか。

 コロナ禍の初期、ドイツメルケル首相はテレビ演説を行い、国民に不自由を強いる緊急事態をわび、協力を求めた。コンサートを失った人々の落胆にまで思いを至らせ、人と人との付き合いが閉ざされる痛みを語った。時代の記憶に刻まれた彼女の言葉と、わが国の首相の言葉は何が違ったのだろうか。

 言葉が届かない。これが政権の寿命を縮めた。だから、「なぜ聞かないのか?」と問いたくなったとしても不思議ではない。だけど、その問いは不毛だ。コミュニケーションがうまくいかないとき、その原因を相手の耳に求めるならば、事態は余計にこじれていくだけだからだ。関係の改善を望むのであれば、問われるべきは自分の言葉だ。いや、違う。より根源的な問題は自分の耳にある。話を聞いてもらうためには、先に聞かなくてはならぬ。聞かずに語った言葉は聞かれない。

「聞く」ことは大切。でもけっして簡単ではなく、むしろシビアな営みだ。東畑さんは、それでも「聞く」ことには大きな報酬があるといいます。寄稿の後半では、「それが何か」を東畑さんが伝えていきます。

 とはいえ、「聞く」が簡単で…

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