伊都国「王墓」ガラス玉、「草原の道」から 中央アジア出土品と一致

今井邦彦
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 福岡県糸島市弥生時代末の墳丘墓・平原(ひらばる)遺跡で出土したガラス玉が、ユーラシアのシルクロードの一つ「草原の道」を旅してもたらされたとみられることが、奈良文化財研究所(奈文研)の田村朋美主任研究員らの分析で判明した。日本や東アジアに類例がないガラス玉で、どこからもたらされたか不明だった。

 18日にオンラインで開かれた日本文化財科学会大会で報告された。ガラス玉の成分が、モンゴルカザフスタンで出土した類似品と一致した。

 平原遺跡は「魏志倭人伝」に邪馬台国とともに登場する伊都(いと)国の王墓とされ、1960年代の発掘調査で銅鏡40面や多数のガラス玉などが出土した。今回分析されたのは、その中の青い2層構造のガラス玉が複数つながった「重層ガラス連珠(れんじゅ)」。

 田村さんは、古代のガラス交易路の調査で訪れたモンゴルで、弥生時代と同時期に栄えた騎馬民族・匈奴(きょうど)の墓で出土したガラス連珠が平原遺跡のものと色や形がよく似ていることを確認。また、文化庁による奈文研とカザフスタン国立博物館の拠点交流事業でも、同じ連珠がカザフスタンの遺跡で出土しているのを見つけた。

 そこでモンゴルカザフスタン両国の研究機関や平原遺跡の出土品を収蔵する糸島市立伊都国歴史博物館と協力し、3遺跡の連珠の成分を蛍光X線分析装置で測定。その結果、どの連珠もナトロンという塩類を使ったソーダガラスで、アンチモンマンガンなどの微量成分を含んでおり、同じ場所で作られた可能性が高いことが分かった。

 ナトロンを使ったガラスはローマ帝国の領域だった地中海沿岸が原産とみられ、田村さんは「この連珠は、当時のユーラシアの東西を結ぶ交易路の中でも、中央アジアからモンゴル高原を通る『草原の道』で東アジアへ運ばれたのでは」と推定している。

 東アジアの考古学を研究している西谷正・九州大名誉教授は「弥生時代と同時期、ユーラシアでは東の漢帝国と西のローマ帝国を結ぶ交流が活発化していた。国際的な交流拠点の一つだった伊都国には、朝鮮半島を経由して海外の様々な物資がもたらされたのだろう」と話している。今井邦彦