10年前の土石流、3時7分で止まった時計 「区切りを」と失踪宣告

大滝哲彰
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 三重県内で死者・行方不明者計3人が出た2011年9月の台風12号による紀伊半島大水害から10年が経った。紀宝町浅里で発生した土石流によって当時87歳だった父親が行方不明となった男性は、今も土石流の跡地に毎日訪れている。

 アジサイ、モミジ、サルスベリ……。紀宝町浅里の川沿いに植えられている。土石流が発生した10年前のあの日まで平屋建ての民家に葛原好数さんが住んでいた場所だ。アジサイを見つめ、長男の亨さん(68)は言った。「おやじが好きだったんですよ」

 11年9月3日。紀宝町浅里では、台風と長雨の影響で前夜から停電が続いていた。亨さんは「息苦しいほどの雨だった」と振り返る。

 1キロほど離れた地区で暮らす父のことが心配になった亨さんは、3日昼ごろに様子を見に行った。

 「大丈夫やで」

 普段から無口な父との会話は、この日も一言だけ交わした程度だった。雨は激しさを増していた。

 翌朝、父の暮らす地区の近隣住民が、山を越えて避難してきた。その中に父の姿はなかった。土石流が起きたことを知らされた。

 停電の影響で、町役場と連絡は取れない。基地局が浸水し、携帯電話は通じなかった。道路も冠水していたため、自前の小型ボートで向かった。

 目の前に広がった光景は、泥にまみれた大きな岩や倒れた木、散乱した生活用品……。父が住んでいた家は跡形もなくなっていた。

 妻や近隣住民がヘリコプターで救出された後も、「おやじを置いていけない」と、亨さんは残り、自衛隊などの捜索活動に加わった。土石流の跡地や父が飼っていた犬の散歩道だった裏山を歩いた。「もしかしたら……」という希望は捨てなかった。捜索活動終了後も、知り合いから重機を借りて毎日のように捜し続けた。

 台風から約2カ月が経ったある日、父の家から少し離れた田んぼで、近所の住民がモスグリーンのリュックを見つけた。父のものだった。印鑑や通帳などの貴重品や位牌(いはい)が入っていた。「逃げる準備をしていたんだろう」

 その後も1カ月ほど捜索を続けたが、それ以上見つかるものはなかった。

 「どこかで区切りをつけなきゃならん」と、13年6月、裁判所に失踪宣告を申し出た。裁判所で承認され、法的に死亡とみなされた。

 それから約2年後。自宅で親族だけの葬儀を開いた。「おやじはもう死んだものとして、家族みんなの区切りになったと思う」

 腕時計が好きだった父。見つかったリュックには腕時計が二つ入っていた。一つは墓に入れた。もう一つは3時7分で時間が止まっていた。修理して時々、着けている。

 「形見といったらこれくらいしかないからね」

 少し照れくさそうに言った。(大滝哲彰)