響け 私たちの農楽 四日市塩浜で30年

黄澈
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 朝鮮半島に古くから伝わる音楽「農楽」。この伝統芸能に、30年以上も取り組んでいる子どもたちのグループが三重県四日市市にある。市立塩浜小学校の児童らによる「塩浜農楽隊」だ。存続の危機に直面しながらも、音楽を通じて、民族の違いや異なる文化を尊重する子どもたちを育てようとしている。

 ダン・ダン・ダンダ・ダダン――

 7月の日曜日午前、四日市市海山道町1丁目の市三浜文化会館多目的ホールに、大きな打楽器の音が響いた。月に2回ほど取り組んでいる、塩浜農楽隊の練習が始まった。

 農楽は五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する目的などで演奏されてきた伝統音楽。甲高い音を出す小さいドラの「ケンガリ」や、砂時計型の筒の両面に革を張った太鼓の「チャンゴ」などの打楽器を打ち鳴らしながら、軽快に動き回る。

 塩浜小に農楽隊が生まれたのは1990年。当時の塩浜地区には在日コリアンが多く住み、同小に通う子どもたちが民族の文化を知り、自信を持てるようにと始まったが、次第に演奏希望者は在日以外の子どもたちにも広がっていったという。

 指導したのは、塩浜小の非常勤講師だった在日韓国人2世の韓久(ハングウ)さん。当時、韓さんは「日本人児童が韓国の文化をやりたいと思うはずがない」と思い込んでいたという。

 しかし、実際は違った。韓さんが監修した三重県人権センター発行の人権コミック「カヌンキル 僕の生きる道」(2006年)の後書きで、こう振り返っている。「あるとき、日本人児童が私に言ったのです。『農楽って私たちはできへんの。めっちゃかっこええやん』。私の中にあった思い込みが崩れ去った瞬間でした。私は、綺麗(きれい)なものは綺麗であると素直に聞き、見ることの出来る本当の眼と耳を子どもたちのおかげで取り戻せたのです」

 塩浜小の在日児童はその後減っていったが、活動は日本人児童を中心に続き、多いときで60人近い児童が参加していた年もあった。

 しかし、地域からの騒音の苦情などで、練習に学校の体育館が使えなくなると、校外の練習場所への送迎や楽器の運搬などの負担が増え、14年には参加者が19人に減少。16年には、長年熱心に指導を続けてきた韓さんががんで急死し、農楽隊の存続は危機に陥った。

 しかし、保護者でつくるサポーターの会の代表だった松江友子さん(46)らは、韓さんの遺志を引き継いだ。「子どもたちがお互いの違いを認め合うという農楽隊の目的は、外国にルーツを持つ住民が増えている今こそ大事にしなければならないのではないか」と考えたという。

 指導は鈴鹿市在住の陸吉宏(ユクキルゲン)さん(40)が引き継いだ。大学2年のときに韓国籍だと明かし、民族音楽を学び始めたころに指導を受けたのが韓さんだった。「できる限りのことはしたい」と話す。

 コロナ禍で演奏機会が減るなど、厳しい状況は続く。現在の小学生の参加者は6年生が3人、4年生が2人の計5人しかおらず、今年度ただ一度の演奏機会となる10月の塩浜小運動会では、卒業生の協力も得て出演する予定だ。メンバーを増やすため、今年度からは、高校生までを対象に参加を募ることにした。

 三浜文化会館での練習後、今年、演奏をリードする「サンセ」の役割を担う6年生の石田紬さんは「農楽はK―POPと同じくらい格好いい。人数が減ってしまって、ちょっと寂しいけれど」と話した。

 11年にサンセを務めた池田真里那さん(22)には、1歳の娘がいる。「この子が小学校に上がるまで、なんとか続いていて欲しい。私たちの農楽隊に」(黄澈)