「泣いた。でも気を抜かない」 ヤクルトの育成プランで村上は大砲に

藤田絢子
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(19日、プロ野球=東京ヤクルトスワローズ5―1広島東洋カープ)

 夕焼け空に、きれいな弧を描いた。

 一回、2ボール後の甘い変化球を仕留めたヤクルトの村上宗隆はゆっくりと駆け出した。

 右翼席で弾んだ通算100号に「ここ数試合、少し意識していたかもしれませんが、打つことができてうれしいです」。

 21歳7カ月での100号到達は、1989年に清原和博(当時西武)が21歳9カ月で達した最年少記録を塗り替えるもの。広島側からも拍手で祝福された。

 本塁打を量産する村上の持ち味は、体とは逆方向へ強い打球を飛ばせることにある。今季35本塁打のうち、中堅から左方向は15本。広角に打てるから、投手にすれば投げるコースが狭まる。

 その術を磨いた有名なエピソードがある。中学時代、打球が飛びすぎて練習場の右翼後方にある民家を直撃したため、監督から言われた。

 「飛距離の出にくい左方向へ打て」

 熊本・九州学院高から入団すると、じっくり育てられた。生え抜きで高卒から主力に成長した山田哲人と同様、2軍で場数を踏み、1軍に上げるのは、レギュラーで使う時という育成プランだった。

 期待通り、2年目の2019年からレギュラーとなり、36本塁打、96打点で新人王を獲得。三振の数も184と目立ったが、フルスイングできる良さを伸ばそうと大きく育てられた。高津臣吾監督も「スイングが小さくなるのはやめてほしい。ちゃんと4番らしいスイングをしなさい」と常々言う。

 昨季は最高出塁率のタイトルを獲得した。山田や通算2千安打の内川聖一を横浜ベイスターズ(現DeNA)時代に育て、村上を指導する杉村繁打撃コーチは言う。「シーズン中に怒られて泣いたこともあった。でも、練習で気をぬかない。365日練習するわけだからそこに差は出てくる」

 「清宮世代」で最も活躍している選手と言っても過言ではない。

 所要379試合での100号到達は高卒の日本選手では秋山幸二(当時西武)に次いで2番目に早い。記録の比較対象は、1980~90年代前半に西武の黄金時代を築いた秋山、清原といった偉大なスラッガーだ。

 いま、同学年にライバルと呼べる存在は見当たらない。

 「まだまだ若いのでもっと上を目指して頑張りたい」

 ただ、まだ4年目。そのプロ人生は序章にすぎない。(藤田絢子)

 高津監督(ヤ) 村上の通算100号について「入ってきた時からずっと見ていますが、決して不思議じゃない。まだまだ通過点だと思います」。

100号到達年少記録上位10傑

            年齢 試合

村上宗隆(ヤクルト) 21歳7カ月 379

清原和博(西武) 21歳9カ月 423

③中西 太(西鉄) 22歳3カ月 438

④松井秀喜(巨人) 22歳10カ月 468

⑤張本 勲(東映) 23歳0カ月 565

⑥王 貞治(巨人) 23歳2カ月 563

豊田泰光(西鉄) 23歳4カ月 712

土井正博(近鉄) 23歳5カ月 722

掛布雅之(阪神) 23歳11カ月 553

山田哲人(ヤクルト) 23歳11カ月 492

※球団は100号到達時。