「アスベスト絵伝」出版 民衆の闘いを描く

下地毅
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 【和歌山】石綿(アスベスト)禍と闘った人間の記録「アスベスト絵伝」ができた。大阪南部・泉南地域の健康被害の責任は国にあると認めた最高裁判決から7年、提訴から15年。絵伝は、生きることを求めて生きた人びとの姿と言葉を刻んでいる。

 石綿被害の深刻度を社会に知らせた近年のきっかけはふたつある。ひとつは2005年の毎日新聞の特報で、機械メーカー・クボタの旧神崎工場(兵庫県尼崎市)周辺の住民被害を突きとめて世論を喚起した。

 もうひとつが泉南の住民による裁判闘争だ。この地には和歌山からも多くの人が働きに行って石綿紡織製品の一大産地となっていたが、工場から散る石綿も、それによる被害も「日常の風景」と化していた。

 クボタ報道に驚いた住民は、あらためて被害と向きあって06年に大阪地裁に提訴する。絵伝に、公害問題にくわしい元滋賀大学長の宮本憲一さんが「泉南地区は日本の石綿災害の原点」という一文を寄せた背景だ。

 この裁判闘争に伴走したひとりが、絵伝を出版した中村千恵子さん(73)=大阪府岸和田市=だった。

 日本絵手紙協会の公認講師でもある中村さんが、はがきやスケッチブックに原告と支援者の姿と声とを描きはじめたのは09年。その熱心な姿勢は、被害発掘の先頭にたった柚岡一禎さん=泉南市=が絵伝に「裁判の傍聴や集会でいつも最前列に座って絵筆を動かす女性がいた」と記している。

 泉南の闘いは、被害を防ぐ規制を怠っていた国の責任を最高裁が14年に認定したことで「一区切り」となった。しかし戦後大量に使われた石綿はあちこちに残っていて被害者数が頭打ちになるのはまだまだ先だ。泉南の原告や支援者は最高裁での勝利後の15年に「泉南アスベストの会」をつくり、全国に散在する被害者の支援を続けている。

 中村さんは16年、泉南アスベストの会のみんなと白浜温泉旅行に出かけた際、立ち寄った道成寺(日高川町)で見た安珍清姫の絵巻物に感嘆し、泉南の闘いを絵巻物にすると決めた。

 「泉南の闘いは、親や夫の苦しみを背負った名も無き庶民が、『なんでやねん』と絶対に引き下がらずに進んで切り開いたものだった」。その「怒りの人間ドラマ」を残したいと考えた。

 長さ3・6メートル、幅69センチの障子紙に筆をはしらせて、17年に完成したときは全21巻(71メートル)になっていた。これを夫の伸郎さん(72)が写真化して絵伝にまとめた。絵巻物に登場する一人ひとりを整理して巻末に収めた圧巻の索引も伸郎さんの手による。

 「アスベスト絵伝 大切なもの それは命」には、「一区切り」後の交流の日々や終わらない闘いと支援、「沈黙の時代」に石綿の危険性を訴えていた泉南市の医師・梶本政治(1913~1994)の記録も収めた。A4変型判で120ページ(税込み3300円)。問い合わせは泉南アスベストの会(090・3703・7414)へ。(下地毅)