悟るための坐禅、ではありません 禅寺で聞いた意外な事実
久保智祥
広島市の普門寺は曹洞宗の禅寺。副住職の吉村昇洋さん(44)に話を聞くなら、やはり坐禅(ざぜん)についてでなければなるまい。その吉村さんによると、なんでも坐禅は悟るためにするものではないらしい。
境内の坐禅堂で、体験させてもらった。床から50センチ弱高くなったスペース「牀(じょう)」が壁沿いにあり、直径30センチほどの丸い座布団「坐布(ざふ)」が並ぶ。
曹洞宗の坐禅はそこにおしりを置き、壁を向いて、足を組んで坐(すわ)る。体を左右に揺らし、自然に止まった場所で、下半身をしっかりと安定させて、そこに上半身をリラックスして乗せるイメージだという。
細かな作法は、普門寺がユーチューブ(https://www.youtube.com/channel/UC3VgxnJ9ru_AwLoJ7cgQGpw)でも紹介している。
Apple Podcasts や Spotify ではポッドキャストを毎日配信中。音声プレーヤー右上にある「i」の右のボタン(購読)でリンクが表示されます。
「自分の力で止めずに体が自然に止まるのを待つんです。自分の思い計らいを手放し、自然な状態にあることが大事なんです」
しばらくして、合掌、低頭し…