日鉄呉、迫る高炉休止 苦悩する従業員「心が折れそう」

能登智彦
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 【広島】日本製鉄が2023年の瀬戸内製鉄所呉地区の閉鎖方針を発表してから約1年8カ月。今月末に1962年にともった高炉の火が消える。製鉄所は戦艦大和を建造した旧日本海軍の呉海軍工廠(こうしょう)跡地にあり、重厚長大型産業が集まる呉のシンボル的存在だ。地元の衝撃がいえないまま時間は過ぎ、雇用や経済の再構築に猶予はない。

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 銭湯の壁に大きな写真が飾られている。上空から撮影した呉市の景色だ。青い海と緑の山々に囲まれた真ん中に、日本製鉄(日鉄)の瀬戸内製鉄所呉地区の工場群が見える。

 呉市の市街地にある「明神湯」。男湯にある縦約90センチ、横約180センチの特大写真は、湿気や温度に負けない特注品だ。銭湯の壁といえば富士山や松林が定番。製鉄所を真ん中に置く強い意図はなかったが、経営する木川忠晴さん(49)は「大好きな呉を一枚で表す写真を選んだらこれになった」と話す。

 戦前に開業し、1947年に現在の地に移った。木川さんは3代目。その後間もない51年に開設し、62年から高炉の火がともる製鉄所からも、交代勤務を終えて直行する作業員の姿があった。深夜勤や日勤など様々な職種を受け入れるため、午前11時~午後10時半の営業だ。「家族経営で大変だが、入浴後に『気持ちよかった』と言ってくれるのがうれしい。製鉄所はずっと呉の屋台骨だった。高炉の火が消えると街はますますしぼむ。不安だ」

揺れる暮らし

 今月中旬、湯船で日鉄の40代の協力会社員と知り合った。男性は高炉の休止に伴い転職する。1年前、上司に「仕事が減るので職探しをして」と求められた。目の前が真っ暗になった。高校卒業後、製鉄所の構内で製材や運搬作業に携わってきた。数社の面接でやっと手にした職はサービス業。収入は減る。妻と小学生の娘がいるので歯を食いしばるつもりだが、つとまるかどうか……。男性は湯船から壁の写真を指さしてこう言った。「写真の真ん中に製鉄所があるのが誇らしくてね。明日も頑張ろうと思えた。よく見て。写真の中で製鉄所が生きているからね」と笑顔を見せた。生きている? その意味は、写真に顔を近付けてわかった。稼働中の白い煙が製鉄所から細く上がっているのだ。

 「転勤は初めて。次は遠い県外。ずっと呉にいたかったし、暮らせるものだと疑わなかった」。呉市に住む日鉄社員の中年男性は苦しそうに打ち明けた。先月、配置転換を言い渡された。自宅を購入して間もないため単身赴任する。「幼い子供が動揺している。ずっと一緒に暮らしてきたから無理もない。コロナ禍で頻繁には戻れないだろうな」と寂しそうに話した。別の男性社員に異動通知はなかったが、それも2023年の製鉄所閉鎖までだ。「違う職種への異動をちらつかされている。心が折れそうなので、いっそ早期退職しようと考えている」。家族にも打ち明けず地元で職探しを始めた。

半数が失職

 製鉄所には、鉄鉱石を溶かす高炉に加え鋼材に仕上げる設備などがあり、関連・協力会社も含めて従業員が約3千人にのぼる。今月末の高炉休止で半数が職を失う見通しだ。日鉄は社員の配置転換で雇用を守り、関連・協力会社への支援もすると強調するが、離職者が相次ぐ。中国などの台頭で業界の先行き自体が不透明だからだ。

 雇用確保のため、呉市や県、広島労働局は離職を余儀なくされる人たちと企業との面接を重ねるが、コロナ禍もあり民間の採用意欲は低い。呉市は日鉄関係者を念頭に異例の中途の職員採用を決めたが枠はわずか6人。東広島市も協力して枠を2人増やした。呉市幹部は「数を積み上げていくしかない」と漏らす。(能登智彦)