ラジオ体操、実は3代目 爆発的普及の裏に「上げたら下げたくなる」

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佐々木凌
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 今も昔も子どもからお年寄りまで親しまれているラジオ体操。実は現在のラジオ体操は3代目で、考案したのは、茨城県日立市出身の遠山喜一郎氏(1909~99)だ。

 茨城県日立市の教育委員会などによると、遠山氏は26歳で、1936年のベルリン五輪体操競技に出場。ベルリンの人々が公園で運動をする姿や、日本人との体格の違いに驚き、体づくりの重要性に目を向けるようになった。

 初代ラジオ体操は、アメリカの生命保険会社の体操をモデルに28年に放送が始まった。甲子園高校野球六大学野球の中継が人気で健康意識が高まったこともあり、30年代に爆発的に普及。当時はラジオが一家に1台はなかったので、公園や広場に集まって体操をする姿も見られた。

 その後、戦争の足音が近づくとともに、ラジオ体操は国民精神発揚のために、儀式などで国旗掲揚や国歌斉唱と一緒に行われることが増えた。日本の植民地や占領地でも、ラジオ体操の普及が図られた。

GHQ、ラジオ体操中止を指示

 こうした背景から、太平洋戦争終結後に日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)はラジオ体操の中止を指示。その後GHQの意に添う形で、号令をなくして音楽だけにした2代目ラジオ体操が考案された。だが、動きが複雑で難しかったことから浸透せず、46年の放送開始から1年半足らずで中止に。そこで、白羽の矢が立ったのが遠山氏だった。

 遠山氏は2代目ラジオ体操が放送中止になった際、全国の教育委員会を回り、県民体操や市民体操の制定を求めて奔走した。モデルとして自身がつくった「茨城県民体操」は、今も県内の中学や高校などで行われている。

 だが残念なことに、県教委に…

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