下関市の理学療法士・宮野清孝さん、パラリンピックに参加

貞松慎二郎
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 東京パラリンピックで躍動した選手を、専門的な立場から支えた人たちが山口県内にもいる。下関市理学療法士、宮野清孝さん(54)はメディカルスタッフの一員として大会に参加。無観客となった競技会場で感じ取ったこと、そして障害者スポーツの課題について聞いた。貞松慎二郎

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 宮野さんは、お尻を床につけた状態で競技するシッティングバレーボールを担当。8月27日~9月2日、競技会場の幕張メッセ千葉市)や練習会場で医師とコンビを組み業務に携わった。男女とも8カ国が出場。日本チームはいずれも8位だったが、選手の真剣勝負に挑む姿、満面の笑みが印象に残ったという。

 試合が終わった後、ネット越しに並んで向き合い、握手の代わりにお互いをたたえるように拍手する姿に胸が熱くなった。無観客だったのが残念でならない。会場の熱気、感動を生で感じてもらいたかった。救急処置や負傷した選手を搬送する練習もしていた。その場面が訪れなかったのは幸いだったかもしれない。

 2008年の北京パラリンピックの観戦に行き、シッティングバレーを初めて生で見た宮野さん。東京大会では日本理学療法士協会からのスタッフ公募に手を挙げた。コロナ禍で開催が1年延期され、不安を抱えたまま本番に臨んだ。

 3年前に中級障がい者スポーツ指導員と障がい者スポーツトレーナーの資格を取得し、使命感にかられて応募した。年を取っても技術を高め、若い人たちとも一緒に汗をかきたい。県内からは他にも私より若い理学療法士2人が参加した。組織委員会による東京での事前研修は2020年1月に1度受けたのみとなり、その後は膨大な量のオンライン研修を受講。楽しみ1%、不安99%で、緊張感を持って迎えた。

 今年3月に新型コロナワクチンの2回目の接種を終え、現地では毎日PCR検査を受けた。下関に戻ってからも1週間ホテル暮らしだった。

 理学療法士を志したのは、父親が難病の筋ジストロフィーを患ったのがきっかけ。熱心な先輩の薫陶もあり、障害者スポーツのために力を尽くしてきた。

 ターニングポイントは同じ下関出身で障害者スポーツの分野に精通した理学療法士の大先輩、高橋寛さんとの出会いと10年前、全国障害者スポーツ大会山口大会が県内で開催されたこと。山口大会では競技会場のコンディショニングルーム設置など中心になって準備する役割を任され、高橋さんのそばに付いて段取りを教わった。厳しさと情熱に接したことや、選手、スタッフらとの関わりを通じて今の自分がある。

 スポーツ基本法が施行されて10年が過ぎた。東京パラリンピックで障害者スポーツへの関心が高まったのは確かだが、さらなる発展には何が必要なのか。

 もっと裾野を広げていく段階で、選手に寄り添う支援者をつくらないといけない。若い人たちがサポーターとして関わるような環境作りが必要。障害のある人に誰もがさりげなく手をさしのべることができるような社会でありたい。

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 みやの・きよたか 1967年、下関市生まれ。山口県理学療法士会会長。九州リハビリテーション大学校卒。東北労災病院勤務を経て現在、下関市立市民病院リハビリテーション部副技師長。中学、高校時代はバスケットボールを経験。知的障害者バレーボールチーム「下関ブルータイフーン」のトレーナーも務める。