中学生の宿題手伝ったデビッド・ボウイ 京都人が記憶する「好青年」

有料会員記事

権敬淑
[PR]

古都ぶら

 町家を背景にたたずむ英国のロックスター、デビッド・ボウイ(1947~2016)。今春開かれた写真展で、古都・京都の日常に溶け込む姿を目にしたとき、彼を知った10代の頃のようにときめいた。時を越えて迫ってくる存在感の余韻にひたりたくて、京都での足跡を、写真家・鋤田(すきた)正義さん(83)の作品を手がかりにたどった。

 京都市営地下鉄東山駅に近い三条通。町家が残る街並みを背景に、電話ボックスで、たばこをくわえ、上目遣いのポーズをとるボウイ。

 今年4月、京都市内で開かれた鋤田さんの写真展「時間~BOWIE(ボウイ)×KYOTO(キョウト)×SUKITA(スキタ)」で出会った1枚は、日本に洋楽ブームが起きた1980年代、音楽専門番組「MTV」で踊り歌う彼に見ほれた頃を思い出させた。ときめきのあまり「キュン死」しそうだった。

 同時に、異邦人が違和感なく古都の日常に溶け込む様が、京都に来て2年目の外国人でもある記者自身の心をざわつかせた。

 京都での写真は多くは80年に撮られた。宝酒造の焼酎のCM撮りで滞在したときのものだ。70年代に流行したグラムロックを牽引(けんいん)し、異星人をテーマとした派手なパフォーマンスで注目を集めた彼が、正伝寺(京都市北区)の枯山水の庭で静かにグラスを傾けるCMは、焼酎ブームにも一役を買ったという。

 親日家のボウイは公私で何度か京都を訪れていた。東洋文化に詳しい友人も京都にいて、時に自ら車を運転するほどに土地勘があった。撮影時、「生活に根ざした感じ」を求めた鋤田さんに、ボウイが提案した撮影場所も多かったという。

 例えば京都市役所の近く、今も町家の風情が残る姉小路通かいわい。交差する麩屋町通を少し南へさがった先にある老舗の生そば店「晦(みそか)庵 河道屋」(中京区)は、中庭が見える2階席が「ボウイの席」としてファンに知られている。

 「ご来店時、私は厨房(ちゅうぼう)にいて直接はお話してないんですよ」という店主の植田健さん(70)に、近所の北村勘司さん(72)を紹介していただいた。鋤田作品の1枚にボウイと共に写るカフェ「ロリーポップ」(閉店)の元店主だ。

中学生に英語を教えたことも

 北村さんによれば、最初は78年。「お一人でふらっとお見えになりました。最初は彼だとは気づきませんでした」。80年まで毎年、近くの老舗旅館などに滞在中、散歩がてらに、多いときは1日3度もコーヒーを飲みにきたという。「気さくで、店で近所の中学生の英語の宿題を見てあげたこともありましたよ」

 街の人と接する写真の中のボウイは、どれも自然な表情をしている。姉小路通の日本画画材店「彩雲(さいうん)堂」では、先々代の藤本雄一さん(故人)と音楽談議に花を咲かせた。「特別な感じはなくて、本当に普通の好青年でした」と4代目の藤本築男さん(76)は言う。

 後にボウイは、「西洋人は東洋に夢の世界を期待する。だけど、血の通った人間として見た方がはるかにおもしろい。だから僕は日本に人間を見に来る。神社などは見ない」と語っている。京都の人々の声から、彼がそれを実践していたことがうかがえる。

 80年当時、30代前半だったボウイは、夜の京都でライブハウスやディスコにも足を運んでいた。その一つ、ライブハウスの草分けである「拾得(じっとく)」(上京区)のオーナー、「テリーさん」こと寺田国敏さん(73)は「まなざしの先にある落ち着きに驚いた」と話した。「えらいお坊さんに会ったときの感じでしょうか。ロックの激しさとは違う、品性がありました」。地元アマチュアバンドの演奏に静かに耳を傾けた横顔が印象的だったと振り返る。

 その頃、音楽シーンにはパンクなどの新しい流れが到来していた。70年代を牽引したロックスターは、時代の変化を敏感に感じ、創作のヒントを探していたのだろうか。その後、ボウイは映画「戦場のメリークリスマス」に出演したり、より大衆化したとされるヒット曲「レッツ・ダンス」を世に送り出したりと新たな活躍をする。

 来日時に通訳を務めた小林禮…

この記事は有料会員記事です。残り729文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

【7/11〆切】スタンダードコース(月額1,980円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら