始まればやめられぬ、五輪も戦争も 軍人宰相・小磯国昭に見る相似形

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中村尚徳
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 コロナ禍の下、東京五輪が開催された。政府高官は発言した。「聖火リレーが始まったら、やめることはできない」。先の戦争もやめられなかった。今に通じるものがあるのか。栃木県出身の軍人宰相・小磯国昭の軌跡をたどり考えたい。

こいそ・くにあき 1880年生まれ。日露戦争従軍後、陸軍省軍務局長、陸軍次官、関東軍参謀長、朝鮮軍司令官、拓務大臣、朝鮮総督を経て1944年7月から45年4月まで首相を務めた。東京裁判で終身禁錮刑となり、巣鴨拘置所で服役中の1950年に食道がんのため70歳で死去。

 2021年1月、90歳で亡くなった作家の半藤一利(はんどうかずとし)さんの言葉を思い出す。

 「日本はいきなり軍国主義になったわけじゃない。本当におかしくなっていくのは満州事変(1931~33年)からですよ」

 3年前、東京都内で取材した。昭和史に詳しい半藤さんは、新聞が社会の暗転に力を貸したと厳しい口調で言った。

 それまで反軍的な姿勢を保っていた各紙は、軍事行動支持に転じた。陸軍による懐柔工作、ラジオという強敵の出現……。「あきれるほど新聞は変わった」

 世論も同調した。軍部にたてつく新聞は不買運動を被った。全国の神社に必勝祈願の国民が押し寄せた。

「日本人は開戦してしまえばついてくる」

 そうした流れを「予言」した人物がいた。後の陸軍大将・小磯国昭。当時、陸軍省軍務局長として人事と金を握り、軍政を動かす事実上の最高責任者の地位にあった。

 満州事変が始まる2カ月前、1931年7月16日夜。東京・霊南坂の住友別邸に後の外相・松岡洋右や外務省の革新官僚、東京朝日新聞などの報道幹部が居並んだ。そこでのやりとりを朝日新聞社史が伝えている。

 小磯は、その席で満州(中国東北部)の「独立論」を口にした。

 「そんなことをたくらんでも今の若い者は一人もついて行かぬ」。報道側に諫(いさ)められた。

 小磯は反論した。

 「いや日本人は戦争が好きだから、火ぶたを切ってしまえばついてくるさ」

写真・図版
小磯国昭=山形県新庄市の新庄ふるさと歴史センター所蔵

 半藤さんによると、朝鮮半島に駐屯する朝鮮軍が越境して満州へ援軍を送ると、若槻礼次郎首相は漏らしたという。

 「入ったのか。それならば仕方ないじゃないか」

 翌年3月、傀儡(かいらい)の満州国が建国された。日本は国際連盟を脱退し、孤立を深めた。やがて戦火は中国全土に拡大し、対米英戦争につながっていく。

 小磯は3歳のころまで栃木県

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