混乱し暴力的になっているようでも…認知症のこころの中は違う世界

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松本一生
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 認知症の人にどのように接したらよいでしょう。家族はもとより、地域の人の理解が広がれば、認知症の当事者がより暮らしやすい社会になるのではないでしょうか。認知症の人のこころの世界について、精神科医の松本一生さんが解説します。

認知症による精神的混乱

 私が精神科医になる決心をするにはいくつかの課題を乗り越える必要がありました。精神的に混乱して時には精神運動性興奮といわれる混乱が起きる人を、果たして自分が医者になったとしても対応することができるか、自分が恐怖におびえてしまうのではないかという心配、その症状を持つ人の治療ができるなら、他の医学生が敬遠しても、その道を自分が行くべきであるという気持ちとの闘いでした。今考えるとその恐怖感は私の医学知識が少なかったゆえのものであり、認知症がある人は怖がる対象ではないことは明白ですが、そのことを理解せずに地域のみなさんが幻覚・妄想と向き合うのは難しいと思います。今回は認知症によって生じる精神的な混乱について考えましょう。

被害感はなぜ出る

 ひとの脳は原始的な動物だったころから自分を守るために、恐怖や感情の中枢が脳の基本部位に存在します。敵から自分を守る、恐怖を感じて危険から逃げるといった、人間が自己保存をするための脳と考えてください。その周囲にある大脳皮質が発達することによって、人間は高等なこころの働きができるようになりました。

 その発達した部分の脳細胞が萎縮し、血管が詰まることにより本来の「思いやり」や「優しさ」がそがれていく病気が認知症です。認知症がすすむにつれて「誰かに悪いことをされる」「物を取られる」といった被害感が出てくる人がいるのは、そういった脳全体のバランスが崩れることによると考えられますが、必ずしもすべての人に出てくるわけではありません。

 一昔前には記憶が悪くなることや計算ができなくなるような症状を中核症状、精神的な被害感や妄想を周辺症状と呼んでいました。かつて周辺症状は中等度以上に悪化してはじめて出てくると思われていました。

 ところが認知症という病気への理解が深まるにつれて、認知症の初期から不安感や気分のふさぎといった精神症状も出ることがわかりました。そこでこれまでの周辺症状という表現を改め、認知症による行動・心理症状と言う表現を使うようになり、その英語の頭文字をとってBPSD(Behavioral Psychological Symptoms of Dementia)と表すようになりました。BPSDと表現することによって「当事者が悪いのではない。病気のために出ている症状だ」と説明することで、当事者の人権を守ろうとしたのです。

 ところが月日が経つうちに認知症の人の混乱を何でもBPSDと「病気の症状」だけでとらえ、薬で抑えればよいといった乱暴な考え方が広がることになりました。BPSDと決めつけて薬で抑えることは人権を損ねることになります。今では「何でもBPSDとして身体的拘束や薬による拘束をやめる」のがあたりまえになっています。

当事者の目から見れば

 それはなぜでしょうか。外から見れば混乱や暴力的に見えても、当事者の目から見た場合の世界をイメージすればわかります。例えば私が認知症になり、周囲で起きていることへの理解ができなくなっているとしましょう。向こうからやってくる人の顔や名前がわからない私に向かってくる人がいれば、誰か知らない人に攻撃されると私は思うかもしれません。本当は認知症になった私の体を拭こう(清拭〈せいしき〉)として訪問看護師が手拭いを持って近づいたとしても、私は「誰か知らない人に手拭いで首を絞められる」と勘違いするかも。相手との距離が近くなると恐怖のあまりに「やめてくれ!」と手を出して相手を突き飛ばすかもしれません。

 病的体験がある人の粗暴行為…

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松本一生
松本一生(まつもと・いっしょう)精神科医
松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など