頂点に立った「仕事師」、菅首相に欠けていたのは 秋山訓子編集委員

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編集委員・秋山訓子
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 秋山訓子・編集委員は1996年の衆院選で、横浜総局の記者として、国政に初めて挑戦する菅義偉氏を取材し、その後も政治記者として、ウォッチしてきました。その政治手法や人柄などを振り返り、短命政権に終わった原因などを分析します。

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「仕事をするために総理大臣になったんですから、解散よりもそっちを選んだ」

 「毎日の公務をこなしながら、私自身の派閥がないので、自らいろんな行動をしなきゃならない」

 今月9日、菅義偉首相の記者会見。自分は仕事をしたという自負と、1人だったという吐露は、体の底から湧いてきた本音にみえた。表情は穏やかだった。

 自分が何を語るべきかわかっていない。国民ときちんと向き合っていない。菅氏はそう批判された。かたくなに国会を開くことを拒み、原稿を棒読みした。今はトップリーダーの説明力が求められる。ましてや危機と混乱の時だ。菅氏にはそれを理解できなかったのだろう。

部下としては重宝される、でも…

 猛烈な仕事師。彼を表す言葉の一つだと思う。初めて政治の世界に足を踏み入れた参院議員の秘書の仕事。ひたすら働きまくって故小此木彦三郎衆院議員から秘書の誘いがかかった。そこから道が広がった。

 誰よりも働くから、部下としては重宝される。だから政権2番手の官房長官としては本領を発揮した。「(安倍晋三)首相は全部任せてくれるから楽」と官房長官時代、語っていた。

 しかし、同じことを自分が頂…

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