素顔のユージン・スミス 助手が記録した水俣での日々

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時津剛
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石川さんが撮影したユージン・スミス。1971年10月、当時の妻アイリーン・美緒子・スミスとともにチッソ水俣工場(熊本県水俣市)を撮影している場面をとらえている。以来、スミスは74年秋まで同市に滞在し、粘り強く取材を続けた
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 今から50年前に焼かれた、古びた一枚のコンタクトプリント。写っているのは、米雑誌「ライフ」などで活躍し、数々の優れたドキュメンタリー作品を残した米国人写真家、ユージン・スミス(1918~78)の姿だ。71年から74年まで、当時の妻、アイリーン・美緒子・スミスとともに熊本県水俣市に滞在。水俣病に苦しむ人々の姿をカメラに収め、患者や家族の苦悩、公害の理不尽さを写真集「MINAMATA」(75年)によって世界に伝えたことでも知られる。

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写真集「MINAMATA」(1975年)=時津剛撮影

 撮影したのは当時、スミスのアシスタントを務めていた写真家の石川武志さん(71)。71年10月にスミスが原因企業チッソの水俣工場を取材しているシーンをとらえている。アシスタントになって初めて立ち会った現場だったが、寒風の中で撮り続けるスミスは自信にあふれ、頼もしく見えたという。以来3年にわたりスミスの撮影や暗室作業を支えた石川さんは振り返る。

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石川武志さん。写真学校を出たばかりの50年前の秋、原宿で偶然見かけたスミスに声をかけたことがきっかけでアシスタントになった=2021年9月、東京・原宿、時津剛撮影

 「お前だったらどう撮るんだ…

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