「親ガチャ」は親だけの問題なのか 人生の嘆きを生み出す土壌は

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論壇時評 東京大学大学院教授・林香里さん

 「親ガチャ」という表現、ご存じだろうか。

 語源は、硬貨を入れてレバーを回すとカプセル入りの玩具が無作為に出てくる「ガチャガチャ」。ネットのゲームではそれになぞらえて、課金してくじ引きを繰り返し、希少アイテムを入手する「コンプガチャ」という仕組みもあったらしい。若者はこうしたゲームにちなんで、「親のせいで自分の人生が希望通りにいかない」ことを「親ガチャに外れた」などと言うのだそうだ。

 そういえば、2000年代に入って、学歴格差社会ワーキングプア、世襲政治など、どれも「親ガチャ」というやるせない表現に説得力をもたせる現象が次々と指摘されてきた。時代を象徴する、言い得て妙な言葉だなと思う。

 社会的弱者の取材を重ねるライターのヒオカは、この言葉がさっそく、テレビのワイドショーなどで取り上げられ、「結局は努力次第」などと「上から目線」の若者批判につながってしまうもどかしさを綴(つづ)っている(〈1〉)。こうしたコメントは、世の中には、がんばろうにも、家族の介護や世話、親の借金の返済などを背負い、スタートラインにさえつけない人たちの存在を忘れている。ヒオカは、「親ガチャ」論争で重要なのは、一見個人の問題に見えるものは、実は社会問題なのだと社会の皆が気づくことだと訴える。

 社会学者の土井隆義は、「親ガチャ」について長編の論考を寄せている(〈2〉〈3〉)。土井は、現代の若者たちは出自に不満を漏らしながらも、過半数が「現状を変えようとするより、そのまま受け入れたほうが楽に暮らせる」と考えていることに注目している。「親ガチャで外れた」と嘆きながら、人生の満足度も高い――この二つが奇妙に同時進行する日本社会について、反旗を翻そうとすることなく状況を淡々と受け入れる諦観(ていかん)が日本社会を覆っていることを憂える。結局、格差拡大や貧困増大が出生の運不運という宿命論へと回収されてしまうことで得をするのは、無為無策でこの状況を招いた政治家をはじめとする権力者や現状から多大な利益を得ている富裕層なのだ。

「親ガチャ」という表現の背後に、社会問題や若者のあきらめの感情を読み取る林香里さん。論考の後半では、報道が過熱する眞子さま結婚の報道に潜む「親ガチャ」思考を見ていきます。

 「お母さんは結婚するときに…

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