岸田氏はどんな人? 開成時代の友人「どんなに遅れても必ずゴール」

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宮城奈々、大久保貴裕、笹川翔平
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 早くから伝統派閥「宏池(こうち)会のプリンス」とも呼ばれ、要職の外相や党政調会長を歴任するなど、戦後としては広島から3人目となる首相候補として注目を集めてきた。岸田氏とはどんな人物なのか。歩みを知る人々を訪ね、人物像を追った。

 広島市中心部の岸田文雄氏の事務所には、3人の写真が掲げられている。ともに衆院議員だった祖父・正記氏と父・文武氏。そして宮沢喜一元首相。いずれも広島が地盤だ。地元関係者は語る。

 「この3人が、ずっと『政治家・岸田文雄』の目標だったからでしょう」

 文武氏は、親戚の宮沢氏を同じ派閥で長く支えてきたが、1991年の宮沢政権誕生を見届けると、翌夏にこの世を去った。60代半ば、当選5回。地元では入閣待望論も高まっただけに同僚は国会の追悼演説でしのんだ。「『次は大臣、次は大臣』と目され、惜しみてもあまりある」

 この時、30代の岸田氏は父の秘書。後継として初の衆院選に臨む前、現職の首相だった宮沢氏からこう声をかけられたという。

 「文武さんの背中を見ていましたね。それを思い出して頑張りなさい」

 それから15年後の2007年、第1次安倍内閣で沖縄北方相として初入閣を果たした。50歳で、目標だった父を超えた。

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 岸田氏がこの頃から通い始め…

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