ショックだった「ニセ患者扱い」 いまも被害の全容わからぬ水俣病

有料会員記事

【MINAMATA ユージン・スミスの伝言】ユージンが見つめた人々の勇気と不屈の魂
[PR]

 水俣病は1956年5月、数人の患者が「原因不明の病気」として保健所に届けられ、公式確認された。それから65年。写真家ユージン・スミスが水俣の地を踏んでから半世紀がたったいまも、解決は遠く、被害の全容さえもわかっていない。

 「裁判でニセ患者扱いされて本当に腹立たしい」。6月25日、水俣病の患者・被害者団体は熊本県水俣市で、小泉進次郎環境相とのオンラインでの意見交換に臨んだ。水俣で例年、環境相も出席して営まれる犠牲者慰霊式が、コロナ禍を理由に2年連続で中止された代わりの懇談の席。水俣市に住む佐藤英樹さん(66)はスクリーン越しに訴えた。

 その2日前、熊本地裁での口頭弁論で行政側の代理人から「(魚釣りで)針を結んだり外したり、自分でするのか」と質問され、症状の訴えを疑われたことにショックを受けた。水俣病の患者認定の申請を行政から棄却され、14年にわたって国や熊本県などと訴訟を続ける。

 患者が多く出た集落で漁師の家に生まれ育った。幼い頃から手足のしびれや痛み、目まいに悩まされた。魚が中心の食生活を共にした両親は患者と認定されたが、佐藤さんは「水銀の被害は認められない」と突き返され続けた。

 水俣病は原因企業チッソの工場廃水が引き起こしていることは、被害が公式確認された3年後にわかっていた。だが、その後も9年間、チッソは廃水を流し続け、国も止めさせなかった。

 最高裁は2004年、被害の拡大を放置した国と熊本県の責任を認めた。「加害者である国が、いまだに解決のための対策を放棄している。これも『悪夢』の一つ」と佐藤さんは憤る。

 チッソや行政に対する裁判は半世紀の間、途切れず続いてきた。どんな症状をもって水俣病とするのか、狭く捉えようとする国との間で「病像」が確定しないことが主な理由だった。

 チッソによる補償対象となる患者の認定基準として、国は複数の症状の組み合わせを要件とする。だが、手足の感覚が鈍くなる典型症状のみの住民が、チッソ水俣工場が廃水を流した不知火(しらぬい)海沿岸に数多く存在することが、民間医師らの検診活動で分かっている。

 「被害の実態に合わない」。大半が棄却される認定基準の見直しを求める声はやまず、最高裁は13年、複数の症状がなくても認定できると判示した。それでも国は、補償対象の患者が増える可能性がある基準の改定に消極的だ。

 被害がどれほどの範囲に及ぶのか、今なおみえない。患者・被害者団体が国に長年求める不知火海沿岸の住民健康調査が進まないためだ。

 「水俣病問題の最終解決」を掲げた水俣病被害者救済法(特措法、09年施行)は、健康調査を「政府は積極的かつ速やかに行う」と定めたが、いまだ始まっていない。国は「調査手法を開発中」との説明を続け、調査の開始時期や範囲も示していない。

 被害者団体などの調査では、汚染魚は沿岸部で流通するだけでなく、行商などで山間部にも運ばれていた。感覚障害が確認され、特措法で一時金などが支払われた被害者もいるが、健康調査をせずに設けられた対象地域などの「線引き」から外れた人も多く、約1700人が新たな裁判を起こしている。

救済対象地域などの「線引き」から外れた人も多い

 現在、感覚障害が確認されな…

この記事は有料会員記事です。残り870文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
MINAMATA

MINAMATA

水俣病と水俣に生きる人々を撮り、世界に伝えた米国の写真家ユージン・スミス。彼の写真とまなざしは、現代もなお終わらない受難を照らしている。[記事一覧へ]