「いのち」の根っこは水、万葉の精神 国文学者・中西進さんに聞く

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聞き手・上原佳久
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 いまから1300年ほど前に編まれた万葉集。当時の人びとの喜怒哀楽を写し取ったことばは、いまを生きる私たちへの「贈りもの」でもあります。国文学者の中西進さん(92)に、万葉のことばを手がかりにして、広く日本文化の基層にあるものを語ってもらいました。(聞き手・上原佳久)

万葉の時代、人々は「いのち」をどのように考えていたのでしょうか。そのころの精神は今も息づいているのでしょうか。

 私たちがいつか迎える、死ぬとはどういうことでしょう。心臓と呼吸が止まり、瞳が光に反応しなくなる。それが死だと、私たちは知識として知っています。学校で西洋式のものの考え方を習って、いわば文明という輸入品を身につけているわけですね。

 でも私たちが身近な人の死を受けとめる時、この文明式の考えには収まらない思いを抱くのではないでしょうか。

 ここで日本語の「しぬ」ということばを考えてみましょう。ことばのなかには、私たちの祖先が大切にしてきたもの、環境との関わりのなかで育んできたものが残っているからです。

 人間がいのちを終える「しぬ」と、植物がしおれることを表す古語「しなゆ(萎〈しな〉ゆ)」は仲間のことばだと、私は考えています。どちらも、なよなよになるニュアンスの古いことば「ぬ」を含みます。人間も植物も、水分が失われてしまうことを生命活動の終わりととらえたのですね。

 どうやら日本人ははるか昔か…

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