怖かった、でも前へ歩き続けた 抗う心は水俣病もおさえつけられない

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奥正光
【動画】「歩けるようになるため」「カメラマンになる夢をかなえるため」。懸命に努力を続けた長井勇さん。その姿は今も変わらない。
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 米国人写真家ユージン・スミスが水俣でカメラを向けた子どもたちは、ユージンの帰国後も自らの人生を懸命に生きてきた。歩けなくても夢を追い、公害の現実を伝える。命とは何か、生きるとは何か、身をもって次の世代に示し続けてきた。

 何ものにも長井をおさえつけることはできない。彼は、はい、しがみつき、ひっつかむ……

 ユージンとアイリーン・美緒子・スミスさん(71)の写真集「MINAMATA」では、当時10代だった胎児性水俣病患者の長井勇さん(64)がこう表現されている。病院内の訓練室で、装具をつけて懸命に前へと進む姿を、カメラは捉えた。

 今年9月。長井さんは写真を見つめて、必死だった当時の気持ちを明かした。「怖かったけど、歩けるようになるかと思って……」

 熊本県水俣市の隣、鹿児島県出水市の海辺で育った。足が不自由で、幼いころから家の中ではって暮らしていた。病院内にあった小学校の分校に入学した時は12歳だった。

 病院に撮影に来たユージンらと知り合った。あふれる好奇心はカメラに向かった。ユージンの通訳も務めていたアイリーンさんに訴えた。「家に連れていって」。以来、ユージンらが暮らした水俣市内の木造平屋の家に何度も連れて行ってもらった。ユージンにおんぶされ、暗室に入ったことも、よくおぼえている。

 長井! 私たちの暗室に来て技術を培うべくつぎつぎと質問し、私たちが焼きつけるのを見るだけでは満足しなかった長井――

自分に抗う カメラ構えられなくなっても

 15歳だった72年ごろ、ア…

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MINAMATA

MINAMATA

水俣病と水俣に生きる人々を撮り、世界に伝えた米国の写真家ユージン・スミス。彼の写真とまなざしは、現代もなお終わらない受難を照らしている。[記事一覧へ]