「同性カップル宣誓1号になりたかったね」 訴え続けた53歳の死

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二階堂友紀
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 故郷の青森に根を下ろし、性的少数者性暴力被害者を支援してきた宇佐美翔子さんが9月30日朝、死去した。53歳だった。「故郷を帰れる街にしたい」。そう訴え続け、パートナーとともに同性カップルやその家族の公認制度を求めてきた。最期まで県に導入を働きかけたが、実現に立ちあうことはかなわなかった。

 宇佐美さんは青森市に生まれ、短大進学を機に故郷を離れた。20代のころ、同性愛者であることを母にカミングアウト。母は娘の大好物をつくった後、「二度と帰って来るな」と言った。母が老いてからは、また顔を合わせるようになったが、同性愛の話はお互いふたをしたままだった。

 2013年秋に母が死去。宇佐美さんは14年春、パートナーの岡田実穂さん(37)と青森に越してきた。27年ぶりの帰郷だった。

自らが追われた故郷に居場所を

 母が残したJR青森駅近くの居酒屋を改装し、カフェバーを開いた。多様性を象徴する虹にちなみ、「Osora ni Niji wo Kake Mashita(お空に虹をかけました)」と名づけた。自らが追われた故郷に、だれもが安心できる居場所をつくりたいと願った。

 4月には市中心部で「レインボーパレード」を行った。性的少数者が誇りをもって歩くことで、その存在を目に見えるものに変えていく。東京などでは恒例のイベントだが、東北地方では初めてだった。岡田さんと仲間と、たった3人で一歩目を踏み出した。

 6月、宇佐美さんは岡田さんと市役所に婚姻届を提出する。東京都渋谷区が同性カップルを公認する全国で初めての条例制定を発表する前年のこと。なぜ同じ性別だと結婚できないのか、理由を知りたいと、不受理の証明書を求めた。市長名の書面には「日本国憲法第24条第1項により受理しなかった」と書かれていた。「その言葉は突き刺さるものがありました」

 宇佐美さんは胸を痛めたが…

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