フィンランド人ってムーミンそのもの 暮らして実感「ありのまま」

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聞き手・森岡みづほ
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コロナ禍を受けて2020年に企画されたフィンランドのバーチャルツアーを配信する森下圭子さん=本人提供
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 ムーミンの故郷が見たい――。そんな思いで27年前、単身でフィンランドに渡った女性がいます。翻訳家の森下圭子さん(52)は現地の人々とのふれあいを通じて、フィンランド語を習得しました。映画「かもめ食堂」(2006年、荻上直子監督)のアソシエイトプロデューサーとして通訳や撮影のコーディネートをしたことでも知られます。今もスウェーデン語を勉強中という森下さんが語る、語学の醍醐(だいご)味とは?

もりした・けいこ

1969年、三重県生まれ、ヘルシンキ在住。日大芸術学部卒業後、94年にフィンランドへ渡り、ヘルシンキ大学で舞台芸術などを学ぶ。コーディネーター、翻訳家、通訳として活動し、フィンランドを舞台にした2006年の映画「かもめ食堂」のアソシエイトプロデューサーも務めた。主な著書に「フィンランドのおじさんになる方法。」(KADOKAWA)、今年10月には共訳の『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』(ボエル・ヴェスティン著、フィルムアート社)を発売。

 ――ムーミンがきっかけで、フィンランドに行くことを決意したと聞きました。

 「ムーミンを初めて読んだのは小学生のときでしたが、大学4年生の頃、偶然読み直して衝撃を受けました。当時、私は日本大学芸術学部で『暗黒舞踏』(日本の伝統と前衛を混合した前衛舞踊)を勉強していたのですが、暗黒舞踏に参画し『舞踏=BUTOH』を世界に浸透させた舞踏家である大野一雄(1906~2010)の言葉とムーミンに出てくるセリフに、共通するところがたくさんありました」

 「例えば『ものごとって、みんなとてもあいまいなのよ。まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね』というセリフ。あいまいさをそのままに、明確にしようとしないのがすごく面白いと思った。それだけでなく、教訓めいたことも、ここはこう理解してみたいな説明もないんです。これが児童文学?と驚きました。こんな文学が生まれるのは相当面白いところだ、ムーミンの生まれたところを見てみたい、と思ったんです」

 ――それまでフィンランドにはどんなイメージがありましたか。

 「何もイメージがなかった。合わなかったら2週間で帰ろうと考えていたし、周りにもそう言っていました。大学卒業後にアルバイトをして、ひとまずフィンランドで1年間生活できるお金をためました」

 ――初めてフィンランドに着いた時、どんな印象でしたか。

 「1994年9月に、初めは語学を学ぶためにオタバという村の寮のある学校に入学しました。小さな村で、長距離バスで最初に到着したバス停の周りには何もなかった。そして、迎えに来てくれるはずの学校の職員が時間になっても来ない。どうしようと思っていたら、おばあさんが4人乗った車が止まって、行きたいところを伝えたら、皆でちょっと相談しているんです。そして、フィンランド語でたぶん『乗れ』というようなことを言って、学校まで送り届けてくれました」

 「学校に着いたら、職員はサウナで間違って熱湯を浴びる大惨事で、迎えに来られなかったと分かりました。着いて1カ月たたない10月1日に初雪が降ったのですが、サウナでくつろいでいたら寮のおばあさんが雪の玉を投げ込んできて雪が降っていると教えてくれて。言葉じゃない、素朴なコミュニケーションがありましたね」

初めてのフィンランド語

 ――最初はどうやってフィンランド語を学んだのですか。

 「フィンランドの学生は英語を話す人も多かったのですが、寮にはソマリアからの難民も多くて、彼らとは唯一の共通言語がフィンランド語でした。地元の小学生の女の子がなぜか私になついてくれ、フィンランド語で遊んでいました。フィンランド語は単語が二十何種類にも変格し、辞書に載っている原型が分からないことが何度もありましたが、その女の子が辞書を開いて教えてくれて」

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フィンランドに渡ったころの森下圭子さん=本人提供

 「村での3カ月のあと、ヘルシンキ大学に入学しました。専門は芸術でしたが、外国人はフィンランド語を履修する必要があって、大学で文法から学びました」

 ――フィンランド語は難しいのですか。

 「発音はほとんどローマ字読…

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