甲子園優勝監督率いる日大三島、38年ぶりのセンバツへ前進
(31日、高校野球秋季東海地区大会2回戦、日大三島5―2津商)
一塁ベンチから、大きなげきが飛んだ。
「思いきっていけよ!」
1―1で同点の五回1死一、三塁。左打席に向かう日大三島の松永陽登(はると)(2年)の表情が引き締まる。2ボール2ストライクからの5球目。低めの直球をとらえると、中越えへ決勝の2点二塁打が生まれた。
「ベンチからの声で気合が入った。絶対に打ってやろうと、思いきっていきました」
声を張り上げたのは、永田裕治監督(58)だった。報徳学園(兵庫)の監督として春夏計18回甲子園に導き、2002年の選抜大会で優勝。17年春に退任後、19年の18歳以下ワールドカップでは日本代表を率いた。
日大三島は1989年夏を最後に甲子園から遠ざかる。そのチームの立て直しを図るため、昨春、招聘(しょうへい)されたのだった。
就任後、永田監督がはじめたのが意識改革だった。
「おとなしくて上品な子が多い。もっとガツガツと気持ちを前面に出さなあかん。だから俺が一番声を出して背中で示しとるんよ」
それまで主力と控え組で分けられていた練習を、一緒に行い、チーム内競争をあおった。選手たちは徐々に感情を表に出すようになり、仲間のミスにも厳しく言い合える雰囲気が生まれてきたという。
1年半後、その成果は出る。今秋の県大会で38年ぶりの優勝を果たし、東海大会の切符をつかんだ。
エースで4番の松永は言う。「永田先生には気持ちの大切さを教えてもらっている。チーム全体に粘り強さが出てきて、勝つたびに、自分たちでもやれるんだと自信がついている」。この日は2安打3打点をマークし、投げては10安打を浴びながらも2失点で完投。投打でチームを引っ張った。
東海地区からの来春の選抜出場枠は二つ。11月6日の準決勝で大垣日大(岐阜)に勝てば、38年ぶりの選抜出場が濃厚となる。「あと一勝。ここまで来たら、なんとか全員野球で勝ちたい」と松永。
永田監督もチームの成長を実感する。
「最後は甲子園にどれだけいきたいか。報徳の時もそうやった。気持ちが強い方が勝つと思っている」
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