京都で芸を育んできた京舞井上流。五世家元で、人間国宝の井上八千代さん(64)は、その芸を受け継ぎ、磨き上げている。コロナ禍で舞台の中止が相次ぎ、SNSやユーチューブなどデジタル化がますます加速するいま、何を思うのか。
――日本舞踊の一つである井上流が京都で活動し始めたのはいつごろからですか。
「初世(しょせい)八千代は江戸時代の明和4(1767)年生まれと伝えられていて、滝沢馬琴と同い年。よくは分かっていないところも多いのですが、長州浪人の娘と言われています。御所勤めをした後、舞で身を立てようと思ったようです。御所勤めから宿下がりをする時、お仕えしていた方から『玉椿(たまつばき)の八千代までそなたを忘れぬ』というような言葉を贈られた。それで八千代を名乗るようになったそうです」
――井上流といえば、京都の花街・祇園甲部の芸舞妓(げいまいこ)による春の「都をどり」の振り付けを、100年以上続けていることでも知られています。
「明治維新で首都が東京になり、それまで都だった京都は元気がなくなった。明治4(1871)年に日本で初めての博覧会が京都であって、その次の年にも京都博覧会が開かれました。みんな京都をなんとか元気にしたいと思わはったんでしょうね。その時の一つのイベントだったのが『都をどり』で、三世八千代が振り付けを指導することになった。それ以来ですね」
――井上流は「愛想がない舞」だと言われることもあるそうですね。
記事後半では、コロナ禍で感じた課題、「舞」と「踊り」の違いやその魅力を語ります
「顔であまり表情を作らない…