「休場すれば、日本中が喜んだかな」  日本人に好かれたかった横綱

竹園隆浩
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 元横綱白鵬が1日、東京・国技館で引退会見を開いた。45度の優勝回数など数々の偉業を達成した。近くで白鵬を見守ってきた人たちに尋ねると、様々な表情を持つ白鵬が見えてくる。

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 その衝撃的な発言は、2015年1月の初場所千秋楽から一夜明けた会見で飛び出した。

 「肌の色は関係ないんですよ。まげを結って土俵に上がれば、日本の魂なんです。同じ人間ですから」

 大相撲の横綱白鵬が「日本の父」と慕う大鵬を抜き、歴代最多の33度目の優勝を飾った場所だった。大記録に花を添える15戦全勝のうち、優勝を決めた13日目の大関稀勢の里(後の横綱、現荒磯親方)との取組は、攻め込みながら取り直しになった。そのことに怒り、審判部を批判した後の言葉だった。

 「最初の一番で勝っていた。子どもの目でもわかる」と白鵬は指摘したものの、最後は土俵際でもつれて同体と見なされた。明らかにおかしい判定ではなかった。それに過去の大横綱たちは、際どい勝負に持ち込まれた自らのふがいなさを嘆くのが常だった。

 ところが、普段から敵対視されていると感じていた白鵬のたまっていたうっぷんが一気に出た。外国出身力士としての不満の公言は初めてではなかったか。

 数々の記録を更新した白鵬だが、その戦いぶりは土俵上の勝負とともに、「国技」と呼ばれる日本に根付いた文化とのせめぎ合いにも見えた。頂点に立つ横綱として、歴史と伝統を学びながら自らの道を進んだが、そこに度々、解釈の違いが生まれた。

 かつて「この国の魂と相撲の神様が認めてくれた」と話した白鵬は「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた昭和の大横綱のように、ファンや関係者の誰からも好かれたいと願っていた。

 だが、現実は違った。

 自身への批判が出始めたのは、角界で神格化されている双葉山の69連勝に迫る63連勝を記録した10年ごろからだ。それまでは同じモンゴル出身の朝青龍が乱暴な所作や巡業を休みながら母国でサッカーをしたことなどで「品格がない」と言われ、批判の矢面にさらされていた。白鵬は正統派で素直とみられていた。

 そして、朝青龍が知人への暴力問題で引退。白鵬が一人横綱として4度の全勝優勝を含む年間5度の賜杯(しはい)を抱き、双葉山の記録に挑戦した辺りから世間の目が厳しくなった。

 原因の一つは「相撲界の主役は、日本人であるべきだ」という、長年角界に携わる人々の根強い心理だ。

 小錦、曙(あけぼの)、武蔵丸のハワイ勢に立ち向かった3代目若乃花貴乃花の兄弟横綱は新しいブームを作った。白鵬の対抗馬は、稀勢の里だった。

 13年九州場所。白鵬が稀勢の里に上手投げで敗れた時、館内に万歳コールが鳴り響いた。判官びいきもあっただろう。それだけ白鵬が強かったという証明だが、白鵬には野球賭博事件、八百長問題など不祥事が続いた角界を1人で支えてきた自負があった。白鵬は「自分がやってきたことは何だったのか」と、自らを否定されたように受け取ったという。

 16年夏場所。白鵬の専属トレーナーを務める治療家の大庭大業(ともなり)さんは、13日目の記憶が頭にこびりついている。横綱昇進がかかっていた稀勢の里とともに12連勝で、優勝を争っていた。当日の朝、白鵬は悲痛な表情でこう言った。

 「きょうは日本人はみんな、稀勢の里を応援するんだろうな」

 その日勝ったのは白鵬だった。取組を終えた白鵬の歩調は普段より早く、呼吸は浅い。悲しげな顔つきは変わらず、「休場すれば、日本中が喜んだかな」と話したという。

 「横綱らしくない」と言われるかち上げや張り差しは、「外国出身の自分は勝たなければ受け入れられない」と1勝にこだわった結果。優勝インタビューで客席に手拍子や万歳を求めたのはファンサービスのつもりだったという。

 前に出る性格の言動が、日本的な横綱像を支持する人たちからは異質に見えたのは間違いない。一方、白鵬も、意地を張り、距離を広げてしまった感は否めない。

 19年9月、親方として角界に残るために日本国籍を取得した。年間150日近く一緒に過ごす大庭さんは言う。「横綱は、日本の人から本当に好かれたがっていた。『自分は外国人だから』と、いつも心の葛藤を抱えていた。本人が一番、日本人か、モンゴル人か、と気にしていた」(竹園隆浩)