母親も、焼酎蔵もすべて濁流にのまれた それでも、川と生きる

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東野真和、大木理恵子、藤原慎一
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 熊本県南部の山あいをぬう清流、球磨(くま)川。昨年7月4日、記録的な豪雨で決壊し、両岸の集落を濁流がおそった。流域の死者・行方不明者は50人を超え、住まいや生業も深刻な被害を受けた。被災してなお、川と共に生きる人たちを訪ねた。(文中は敬称を略します)

 たびたび氾濫(はんらん)してきたその川は、「暴れ川」とも呼ばれる。

 1813(文化10)年に創業した米焼酎の蔵元「渕田(ふちた)酒造本店」も、丸ごとのまれた。川のほとりに立つ球磨村唯一の蔵元は壁も建具も流され、創業時の柱と梁(はり)だけが残った。

 6代目の渕田嘉助(73)は、来夏の再建をめざして一人で作業を続ける。半世紀にわたり二人三脚で切り盛りしてきた母・勝子は、もういない。

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渕田酒造本店6代目の渕田嘉助さん。左後方は被災を免れた焼酎タンク=2021年9月2日、熊本県球磨村、金子淳撮影

 93歳の勝子は、村にある特別養護老人ホーム「千寿園」に入所していた。あふれた川の水が流れこんだ園に、渕田は何度も電話をかけた。警察からの連絡で母の死を知ったのは3日後。逃げ遅れた14人の入所者が犠牲になった。

 先代の父親は、渕田が20歳のときに48歳で急逝。渕田は後を継ぐため、東京の大学を辞めて村に戻った。焼酎の仕込みも経営のいろはも、黙々と働く母の背中を見ながら、少しずつ覚えていった。

 川は、そんな母を奪った。

 被災後、泥かきの手が足りなかった。蔵元の移転も頭をよぎったが、平地が少ない球磨地方に適地は見つからなかった。かといって、他の地方へ行くことは考えられなかった。「『球磨焼酎』の名がつけられなくなる。江戸時代から続くのれんを守れるのはここだけだ」

 淡麗な味わいに魅力を感じる球磨焼酎をこれからもつくり続ける。再び川が牙をむくかもしれない。それでも、残された柱と梁を使って、同じ場所での再建にこだわりたいと思う。

 「また被災しても、半年くらいかけて泥かきをする。そして店を続けるだけです」

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渕田嘉助さんの母ら入所者14人が犠牲になった特別養護老人ホーム「千寿園」は解体が進み、一部の外壁を残して更地になっていた=2021年9月6日午後4時25分、熊本県球磨村、藤原慎一撮影

「川と生きる限り、リスク負わねば」

 渕田の蔵元から上流へ約5キロの川べり。同じく生業の再建をめざすラフティング会社「ランドアース」の事務所がある。

 社長の迫田重光(54)は1993年、この地でラフティング事業を始めた。急流をゴムボートで下るスリルが受けて同業者が次々参入し、豪雨前には年間約5万~6万人が利用する観光の目玉になっていた。

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ランドアースの迫田重光社長=2021年9月2日、熊本県球磨村、金子淳撮影

 だが昨年の豪雨で、事務所は2階まで浸水し、ボート20艇が流された。迫田らスタッフは、住民が見つけてくれたボートに乗り込み、濁流につかった集落へ急いだ。流されたオールの代わりに、スコップやほうきを握った。

 助けを求める住民をボートに乗せては、安全な場所まで運んだ。屋根に取り残された人や、電柱にしがみついた人。全業者を合わせると、「100人は助けたのでは」と迫田は言う。

 休業は1年間に及んだ。豪雨前に借り入れた1千万円は底を突き、貯金を食いつぶし始めた。今年7月に営業を再開したが、川には大量の流木やがれきが残ったまま。人気があった流れが急な瀬は今も通れない。有志の14業者が協力して清掃を始め、これまで延べ350人が参加した。

 球磨川沿いでは橋や道路の復旧が進む。だが、迫田は「観光の源である川の清掃も並行してやらないと、生業の復興が遅れ、人が村から離れていく」と危機感をあらわにする。

 くねくねと蛇行する急流は常に水害と隣り合わせだが、ラフティングはその川があって初めて成り立つ。「球磨川とともに生きる限り、リスクを負わねばならない」。恩恵も危うさも全て引き受けて、迫田は流域観光の再起を誓う。

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球磨川の清掃をするラフティングガイド=2021年7月、熊本県球磨村、ランドアース提供
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川下りの途中でがれきを拾うラフティング客=2021年9月5日午前10時33分、熊本県球磨村、ランドアース提供

屋根まで迫る水、死を覚悟

 昨年7月の記録的豪雨は、山あいの温泉郷、熊本県人吉市を襲った。氾濫した球磨川沿いの多くの旅館が被災した。

 4日早朝、川からあふれた水は、約400メートル先の旅館「しらさぎ荘」に迫った。「もうやばい! 逃げろ!」。夫の叫び声と、愛犬のほえ声。若おかみの高山(こうやま)多磨(46)は跳び起きた。濁流が自宅に押し寄せていた。

 同じ敷地に立つ木造2階建ての旅館に急ぎ、宿泊客や愛犬らと2階の屋根に上った。水かさはみるみる増し、屋根まで迫った。そんなとき、球磨川上流の市房ダムが緊急放流寸前とのニュースを知人から電話で伝えられた。死を覚悟した。

 約9時間後、地元のラフティ…

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