「土俵では鬼に。それこそが横綱相撲と」 白鵬、引退会見の一問一答

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 大相撲の元横綱白鵬間垣親方(36)が1日、東京・国技館で現役引退の記者会見を開いた。引退決断の理由や、厳しい意見が多かった横綱審議委員会への思い、自らにとっての横綱像などを語った。思い出の一番には、やはり、あの黒星を挙げた。

 主なやりとりは次の通り。

 ――今、引退の記者会見という席に座ってどんな思いか。

 「大変緊張しています。ほっとした気持ちでいっぱいです」

 ――引退はどのように、いつ決断したのか。

 「引退を決めたのは名古屋場所中の10日目で決めました」

 「(右)ひざも言うことをきかなくなった。この場所は2桁勝利が私の目標でありました。その10勝を達成した時に宿舎に戻り、親方、部屋の皆さん、裏方に今場所で引退させていただきますと伝えました」

 ――迷いは。

 「右ひざのことを思えば、迷いはなかったと思います」

 ――まだいける、という気持ちはなかったか。

 「ひざのことを思えばなかったと思います」

 ――ご家族は。

 「奥さんは残念がっていましたが、子供たちからは『頑張って欲しい』『もっとやってほしい』という声はありました」

 「私が出会った方々の応援のおかげでここまで来られたと思いますし、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この場を借りて妻に感謝しています」

 ――21年間の土俵を振り返ってどんな思いか。

 「早いような感じがします。本当に相撲が大好きだな、幸せ者だと思います」

 「今があるのは宮城野親方、師匠が私に声をかけてくれたおかげで、今があると思うので、この場を借りて師匠に感謝します」

 ――強くなっていったころを思い出して。

 「親方にほめてもらいたい一心で稽古に励みました。その思いが、関取になり、大関、横綱と昇進してくことにつながったと思います」

 ――稽古では準備運動に時間をかけていた。

 「やっぱり、体が細く、また大きくしないといけない時期もありましたし、早く強くなりたいと思う時期もありましたけど、(準備運動に時間をかけさせた)師匠の考えがすべて当たったような感じがします」

 ――目標をどう掲げ、ここまで来たのか。

 「大相撲に入るときは『横綱になりたい』という夢はありましたけど、45回優勝したいという目標は立ててはいなかった。積み重ねが、この結果につながったと思います」

 ――横綱としての900勝まであと1勝だった。

 「本当は名古屋場所後に引退をしたいという気持ちがありましたけど、やっぱり、相撲協会に報告することを優先していました」

 「照ノ富士関の横綱昇進もありましたし、オリンピック、パラリンピック、また9月場所前に(引退)という気持ちもありましたけど、部屋からコロナ感染もありまして、今日になってしまいました」

 ――14年間綱を張り続けてきた。その重みは。

 「右も左もわからないときに大鵬親方に出会いました。大鵬親方に『横綱という宿命の中で頑張らないといけない』『負けたら引退』という言葉をかけられた。32回優勝した昭和の大横綱の、この言葉は重かったです」

 ――少年相撲の大会「白鵬杯」が長年続いている。

 「もう10年になります。大会で活躍した子供(幕内阿武咲ら)が入門し、また自分とも対戦し、私も負けましたし。大会の花が咲いていると思います」

 「まずは基本を大事にし、型をつくること。そして型ができたときに型をやぶる。まさに、型をもって型にこだわらない。そうすれば必ず強くなっていくんじゃないかと思います」

 ――横綱審議委員会から厳しい意見があった。

 「横綱になりたてのころは自分の理想の相撲、「後(ご)の先(せん)」を追い求めていた時期もありました。最多優勝を更新してからはけがに泣き、自分の理想とする相撲ができなくなった。横審の先生の言葉通りに直した時期もありましたし、それを守った場所もあったと思います。だけど、けががあり、理想とする相撲ができなくなったことは反省していますし、自分自身も残念に思っています」

 ――自身にしかわからないつらさもあったのでは。

 「途中、つらい部分はありましたけど、世界の子供たちに相撲に興味をもってもらいたかった。現役を続けたい思いは、そこにあったと思う」

 「最多優勝を更新したときに目標を、夢を失う寂しさ、悲しさはありました。でも、目標は大きくあればあるほど、大相撲を目指す子供たちが頑張ってくれるんじゃないかという思いで、頑張ったつもりです」

 ――思い出の一番を一つだけ選ぶとすれば。

 「選べません。二つにしたいと思います。最初で最後の金星になった朝青龍関との一番と、何と言っても、双葉山関の69連勝に挑んでいた時に負けた稀勢の里関。あの負けがあったから、いまがあると思います」

 「63連勝にふさわしい相撲をとらないといけない、恥ずかしくない相撲をとらないといけない、という思いで、ここまで来たと思います」

 ――モンゴルへの思い。

 「父を愛し、また自分を愛し、応援してくれたことが結果につながったと思う。モンゴルの人々への感謝の気持ちでいっぱいです」

 ――日本の皆さんへ。

 「私を育ててくれた方々の応援があるからこそ20年頑張れたと思います。感謝の気持ちでいっぱいです」

 ――名古屋場所千秋楽で土俵に上がる前に額をつけていたが。

 「呼び出しに名前を呼ばれ、これが最後の一番だと思いました。この20年間、本当に支えてくれた土俵に、感謝の気持ちを伝えました」

 ――ひざの状態は医師からどう言われているのか。

 「医師には『私がやることは全部終わりました』と。『次また、ひざを痛めた場合は人工関節になる』と報告を受けました」

 ――横綱とはどういう存在だと思うか。

 「土俵の上では鬼になって勝ちに行くことこそが横綱相撲だと考えてきました。その一方で、周りのみなさんや横審の先生の方々が言う、『横綱相撲』をめざしたこともありましたが、最終的に、その期待には応えることができなかったのかもしれません」

 ――新横綱の照ノ富士関への思いは。

 「名古屋場所では後を託せる、ということを肌で感じました。若手力士が力をつけていたのは名古屋場所の15日間感じました。バトンタッチというか後を託せると思う。ぜひとも照ノ富士関に頑張ってもらいたいなと思います」

 ――厳しいことも言われた力士人生。親方としてどう生かしていきたいか。

 「弟子たちには、人に優しく、自分に厳しく、義理と人情をもった力士に育ってもらいたい」

 ――横綱として守り続けてきたものは。

 「横綱に昇進するのも大変なことです。それを14年間守り続けた。自分をほめたい。そういう気持ちでいっぱいです」