「生き残って申し訳ない」原爆の日に寝坊した少女 89歳の今の思い

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岡田将平
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 変わり果てた広島の街を見たこと、親やきょうだいを失ったこと――。6年前の夏を思い出しながら、被爆した子どもらがつづった作文集『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』の出版から2日で70年。「平和教育の原典」と言われ、今も国内外で読み継がれている。「原爆の子」たちは今、何を思うのか。(岡田将平)

     ◇

 広島市中区の篠田恵さん(89)は高校生の時、先生から「原爆に遭っとる人は作文を書いてみなさい」と言われた。13歳だったときの記憶を書き進めた。

 1945年8月6日朝、自宅に来ていた近所の女性に幼い弟が豆を差し出した。「お婆(ばあ)ちゃん、喰べんちゃい」。原爆が襲ったのはその時だった。家は爆風で破壊された。翌日、父と一緒に爆心地近くに行き、帰ってこなかった姉の職場の焼け跡を訪れた。

 《入ったとたん、私は目をおおってたじたじと退いた。これがこの世の地獄というのであろうか。土間にも、カウンターの上にも、焼けただれた人々がうつろな目を開けて転がっている》

 姉は見つからなかった。やけどを負った弟はその後、飛行機が飛ぶたび、「姉ちゃんを返せ」と叫んだ。弟も体調が悪化し、その年の10月に亡くなった。

 《死骸は近所の人々によって簡単に河原で焼かれた。白い煙をわずかに上げながら……》

 作文を書いた時、篠田さんはあえて省いた場面があるという。

 被爆当日、やけどをした人た…

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