仲良すぎる市和歌山・小園と松川 ドラフトも「ニコイチ」快挙なるか

山口裕起
【動画】ドラフト上位候補の市和歌山高バッテリー=山口裕起、高橋健人撮影
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 「相棒」から「ライバル」へ。

 帽子のつばに二つでひとつを意味する「ニコイチ」と書き合って、日本一をめざしたバッテリーが、新たなステージに向かう。

 市和歌山高の小園健太は最速152キロを誇る世代屈指の右腕。変化球も多彩で、10月11日のプロ野球ドラフト会議では1位指名の有力候補だ。

 その小園の球を、中学時代から6年間、受け続けた松川虎生(こう)も上位指名の可能性がある。強打の捕手で高校通算43本塁打をマークした。

 高校最後の年を迎えた今年の正月、一緒に初詣に行き、日本一を祈願した。

 おみくじは小園が大吉で、松川は吉だった。「エースに花を持たせないといけないので、これでいいんです」。松川は捕手らしいことを言っていた。

 今春の選抜大会、2人は初めて甲子園の土を踏み2回戦まで進んだ。この時に、互いの帽子のつばに「ニコイチ」と書きこんだ。

 最後の夏もその帽子をかぶって臨んだ。和歌山大会決勝で、後に全国制覇を遂げる智弁和歌山に1―4で敗れ、2人の高校野球は終わった。

 引退後、小園は宮崎に住む祖母の家に松川を招待した。祖母が松川に会いたがったのだという。

 マグロを食べ、ブドウ狩りや梨狩りを体験した。夜はふとんを並べて一緒に寝た。

 テレビをつければ、全国のライバルたちが甲子園でプレーしている姿が映る。こみあげる悔しさは、キャッチボールをして振り払った。

 2泊3日。小園は「なんてない話しかしていないけど、のんびりできてすごく楽しかった」。

 大阪出身の2人は中学時代の野球チーム「貝塚ヤング」で出会った。

 互いの第一印象はあまりよくなかった。小園は松川について「今よりも体が丸っこくて、いかつい感じ。少し怖かった」。松川は「(小園は)目つきが怖かった」と苦笑する。

 仲良くなったきっかけは松川の声だった。ノックで同じ三塁を守っていた時に張り上げた。「すごくかわいい声をしていた。ギャップがあって、かわいいやつだなと」と小園。

 徐々に会話が増え、「けんた」「こう」と下の名前で呼び合うようになっていた。

 料理が得意な小園が松川のために、唐揚げ弁当を作って練習に持って行ったこともあるそうだ。

 兵庫の強豪私学に進学するつもりだった小園が翻意したのも、市和歌山への進学を先に決めていた松川に誘われたからだった。

 「今までありがとう」

 互いにそう言って握手した和歌山大会決勝の日から2カ月近く。9月中旬に高校を訪ねると、髪の毛が少し伸びた2人は、後輩たちに交ざって練習を続けていた。

 目標は「プロで活躍すること」と口をそろえる。そして、同じチームではなく、別々のチームに進み、いつか対戦することを夢見ている。

 相手の実力を誰よりも知るからこそ、もう相棒ではなく、これからはライバルとして。互いにそう考えるようになったそうだ。

 これまでの紅白戦での対戦は、本塁打もあれば、見逃し三振もある。どちらも打たれたこと、抑えられたことをはっきりと覚えている。

 10月11日、同じ公立校から2人そろって指名を受ければ昨年の兵庫・明石商の中森俊介(ロッテ2位)と来田涼斗(オリックス3位)に続く例となる。

 もし同じ公立校から2人が1位指名となれば、1984年の和歌山・箕島の嶋田章弘(阪神)、杉本正志(広島)以来、37年ぶり2例目となる。

 「6年間、バッテリーを組んで、本当に嫌なところがぜんぜんない。いらついたこともない。本当に僕のすべてを受け止めてくれた。感謝している」と小園は言う。

 松川も「球の質だったり、投球のこだわりだったりがすごい。2人でたくさん話し合いながら成長できた」と言う。

 「ニコイチ」と書いた、思い出が染みこんだ帽子は、別のチームに進み、いつかライバルとして向き合う日が来ても、互いの部屋に飾る。

 2人はそう約束している。(山口裕起)

 まつかわ・こう 大阪府阪南市出身。小学1年から野球を始め、硬式クラブ「貝塚ヤング」に所属していた中学3年時にエース小園とバッテリーを組んで全国優勝した。市和歌山では1年春から4番だった。阪神がリーグ優勝した2003年の生まれで、阪神ファンの祖父が命名した。身長178センチ、98キロ。右投げ右打ち。

 こぞの・けんた 大阪府貝塚市出身。小学1年で野球を始め、硬式クラブ「貝塚ヤング」に所属していた中学3年時にエースとして全国優勝した。市和歌山では1年春からベンチ入り。4歳から12歳まで習字をならい、書道10段。料理も得意。趣味は寝ることで、好きな言葉は「エースたるもの」。身長184センチ、体重90キロ。右投げ右打ち。