就活で問われた「自分の足で通えますか」 寝たきりの僕、高3の決断

佐藤仙務
[PR]

 「仙務くんは将来、どんな働き方をしたいですか?」

 これは私がまだ高校生だった頃。当時通っていた養護学校の先生からよくそんな質問をされていた。そして私は、そのたびにこう答えるのを常にしていた。

 「パソコンを使った仕事がしたいです。あと、理想で言えば健常者と同じぐらい稼いで、自宅でも働けるようになりたいです」

 私がそう言うと、先生はいつも困り顔になった。少し沈黙したあとで先生は「なかなか働く場所を見つけるのは難しいですね」と言い、続けてこう話してくれた。

 「先生も色々と問い合わせてみたんだけど、どこの会社も作業所も自分で職場に通えない人を雇うのは厳しい、という答えでした」

寝たきりで就活、たちはだかった壁

 私には生まれつきの難病があった。脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)は根本的な治療のない難病だ。進行性の病気ということもあり、成長とともに筋力が衰えていく。歩くどころか、座っていることさえ難しくなっていく。

 高校生だった私は電動車椅子にこそ乗っていたものの、長時間、車椅子に乗っているのが体力的に厳しくなってきた時期だった。そのため、学校生活の大半はベッド上で過ごし、基本的に寝たきりの生活を送っていた。そのため自分一人ではトイレどころか、食事も取れず、学校生活のほぼすべての介助を先生が担ってくれた。

 そんな私が就職をしたいとなると、数々の課題が発生する。

 まずは、私が仕事中は誰が介助をするのかという問題なのだが、今の日本の制度だと、経済活動中のヘルパー利用はできない。ならば、その介助者は私が自費で雇うか、あるいは就職先の会社が私のための介助者を雇用するかの二者択一となるわけだが、当然、これから働く私にそんなお金があるはずがなく、かといって、就職する会社が私のために介助者を雇う理由も義理もない。

 それに仮に、それらの課題をクリアしたとして、私には職場に通うための足がなかった。

 だからこそ私は、今から約10年以上も前からリモートワークで働きたいと考えていたし、リモートワークであれば、多くの障害者にとって働くチャンスが生まれるものだと考えていた。

 だが、このことを学校の先生や面談をしてくれる就職希望先の人に話しても、なかなか理解してもらえなかった。それどころか、ときには「この先の未来も、家で仕事する時代なんて来ませんよ」とか、「大切なことは仕事ができるかどうかではなく、自分一人の力で会社まで通えることなんだ」と言われたこともあった。

働くためにあきらめたもの

 私は子どもの頃から、重い障害の割にはポジティブな性格ではあったのだが、障害が重いという理由だけで、ここまで「働く」という当たり前のことが手に入らない現状に正直心は折れかけていた。

 当時の私は、なんとなく自分という存在が社会から不要だと言われている気がしたし、健常者どころか、多くの障害者が客観的にみても、私のような重度の障害者にはなりたくないものだと思っていたに違いない。

 実際、私のクラスメートは障害の程度が軽い人から次々と就職を決めていった。そんな中で、いつまでたっても就職先が決まらない私を周りも心配してくれていたが、私は高校3年の冬にある大きな決断をした。

 それは働くために就職を諦めるということだ。自分のように重い障害を抱えている人の就職が難しいのであれば、自分で仕事を作ればいい。リモートワークが出来ない会社が多いなら、リモートワークのできる会社を作ればいい。そして何より、まずは自分のような重い障害を抱えていても、健常者並みに稼げるということを証明したい。そのためには「起業」しかないと考え、私は19歳のときに同病の幼なじみを誘い、障害者だけで会社を立ち上げた。

 会社を立ち上げた最初の頃は、仕事をどのように取っていいかも分からず、売り上げがほとんどない状態が続いた。それでも、幼なじみにはウェブデザインというスキルがあった。学生時代に独学で身につけて磨いていたものだ。私にはデザインのスキルはなかったが、人と話すのが得意で、何事にも物おじしないチャレンジ精神があった。それに何よりも、「障害者の働く場をつくりたい」という目標があった。そのために、会社経営の傍ら、大学院にも通い、経営学修士を修了した。

 2011年に会社を立ち上げ、多くの方々の支えがあり、今年で設立十周年を迎えることができた。上を見ればキリはないが、健常者並みに稼いでいる自負はあるし、会社では数人ではあるが、重度障害者や健常者のスタッフだって雇用している。

「どこで働く」ではなく「どう働く」考え抜いた

 「仙務くんは将来、どんな働き方をしたいですか?」

 高校時代、私にそう聞いてくれた先生には感謝している。どこで働きたいかではなく、どう働きたいか。それを自分で考えるきっかけをもらったと思う。自分には何ができて、何をしたいかを考え抜いたことで、いまも働き続けることができていると思っている。

 もし「自分の足で通えるか」だけの理由で就職先を決めていたら、「自分の足で通えないと」という常識を打ち破ることができなかった。

 だが、ここ数年、私がテレビや新聞といったメディアに取り上げてもらうようになってから、私にはある悩みが尽きないようになった。そのきっかけは母校からのある依頼から始まった。(佐藤仙務)

佐藤さんを悩ませたこととは? 次回は10月下旬に公開予定です。

佐藤仙務

佐藤仙務(さとう・ひさむ)

1991年愛知県生まれ。ウェブ制作会社「仙拓」社長。生まれつき難病の脊髄性筋萎縮症で体の自由が利かない。特別支援学校高等部を卒業した後、19歳で仙拓を設立。講演や執筆などにも注力。著書に「寝たきりだけど社長やってます ―十九歳で社長になった重度障がい者の物語―」(彩図社)など。ユーチューブチャンネル「ひさむちゃん寝る」では動画配信も手がける。