大好きなママの依存「重かった」 新田恵利さんを救った6年半の介護

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聞き手=朝日新聞アピタル編集長・岡崎明子
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 「母に介護が必要にならなかったら、親子関係が悪くなっていたかもしれない」。1980年代、おニャン子クラブの会員番号4番として一世を風靡(ふうび)したタレントの新田恵利さん(53)は今春、6年半の介護の末、母ひで子さん(享年92)を自宅でみとった。介護を通じて、共依存ともいえる2人の距離感が変わっていったと言う。

「冬のオペラグラス」発売の1週間前、父が死んだ

 私は父が56歳、母が39歳のときにできた末っ子だったので、むちゃくちゃ可愛がられて育ちました。

 たとえば、小学1年生でお習字を習い始めたんですけど、書き初めを書くだけで「すごい、すごい。こんな大きな筆で、こんな大きな紙に」って。

 テレビに出るようになると、「恵利ちゃん、かわいい」の繰り返し。「かなりの親バカだなあ」と、子ども心に思っていました。

 「冬のオペラグラス」でソロデビューする1週間前。クリスマスイブの日に、父が肝硬変で亡くなりました。

 当時、思春期だったので、父との関係は決して良好ではなかったんですね。それが急に死なれてしまい、悔いしか残りませんでした。

 父は母のことをめちゃめちゃ愛していたので、その母を大事にすれば父も喜ぶだろうと。このとき、とにかく母に親孝行しようと決めたんです。私は、母の母でもあり、父にもなりました。

 母は無年金だったので、私が海外旅行の費用を出したり、季節ごとに服やバッグなどを買ってあげたり。離れて暮らしているときは、毎日、電話しました。

 姉と兄がいるのですが、20年ほど前には2世帯住宅を建て、私たち夫婦と同居を始めました。

 母は結構、依存心が強い人なので、お金がほしいときも、モノがほしいときも、悩み事の相談も、全部私に来るんです。頼られると私も全部応えようとしちゃうので、いっときは重くて重くて。逃げ出したいと思うこともありました。

 そんな母との関係が大きく変わるできごとが、突然、私を襲いました。

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