勇退の帝京・前田三夫さん 勝つためのヒント探した常総との練習試合

井上翔太
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 東京・帝京高校の監督として、甲子園3度の優勝を誇る前田三夫さんが、今夏を限りに勇退した。現在はチームの名誉監督として、練習に顔を出している。このほど、朝日新聞ポッドキャスト「音でよみがえる甲子園」にゲスト出演し、50年間にわたる監督生活を振り返った。

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 前田さんは、千葉・木更津中央高校(現・木更津総合)から帝京大を経て、帝京高校の監督となった。初期メンバーには、タレント・石橋貴明さんの兄がいた。

 「第一声で、『甲子園に行こう!』と声をかけたんだけど、みんな笑っていたんです。『行けるわけないだろう』と。30人ぐらいいたのに、4人になってしまった」

 借りていた平屋で、4人と一緒に生活をした。「泊めて、朝ご飯を食べて、お弁当を持たせて、私は練習を早く切り上げ、買い出しして、夜ご飯を作って、寝させて……。1カ月続けましたね」。大学時代の自炊経験が、いきたという。

 初の甲子園出場は、1978年春の第50回選抜大会。福岡・小倉高校に0―3で敗れた。

 「当時は、ベンチの真ん中に座っていたんです。でも選手は、劣勢になると親を探すように、監督を探すんですね」

 その後は甲子園に出ると、ベンチの隅で腕を組みながら、試合を見つめるようになった。練習でもほとんど笑わないから、甲子園のベンチでも笑わなかった。

 春夏通じて甲子園3度目の決勝となった89年夏、第71回大会。吉岡雄二投手を擁して、初優勝を飾った。この決勝が、監督生活の中で、最も印象に残っているという。

 「ここで優勝できなかったら、一生できない」

 打撃には自身があったが、相手の大越基投手(仙台育英高校)も「気持ちがボールに乗り移って、重かった」。延長戦の末、接戦を制して深紅の大優勝旗をつかんだ。

 帝京は、夏の東東京大会を前に例年、茨城・常総学院高校と練習試合を行う。前田監督によると、帝京側から常総学院元監督の故・木内幸男さんに頼んで、始まった。

 「あの人に会って話をすると、(勝つための)ヒントがあるんですよ」と、前田さんは振り返る。

 たとえば常総との練習試合で大敗したとき、木内さんからこう言われた。「おい前田。いい出来じゃないか」。大会前に練習を詰め込み、あえて選手たちを疲れさせることで、大会に入って練習量が減ると、少しずつ状態が上がることを、木内さんは見越したのかもしれない。

 前田さんは今年6月、72歳になった。「ノックは(まだ)3~5年はできる」というほど、体は元気だが、監督就任から半世紀を一つの節目と考え、第一線から身を引いた。「今もグラウンドの空気を吸うことが、元気の源。力になれることがあれば、率先したい」。監督の立場を離れても、野球からは離れない。井上翔太