76年越しに伝えた感謝 スイス人医師に救われた15歳の少女

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福冨旅史
写真・図版
赤十字国際委員会のレジス・サビオ駐日代表(右)に旧陸軍被服支廠の様子を説明する切明千枝子さん=2021年9月6日午後2時8分、広島市南区出汐2丁目、福冨旅史撮影
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 原爆投下から1カ月後の広島に大量の医薬品を持ち込み、多くの被爆者を救ったスイス人医師がいた。体調を崩し、死も覚悟した15歳の少女はその薬を飲み続け、健康を取り戻した。あれから76年。91歳になったその少女が今秋、スイス人医師が所属した赤十字国際委員会(ICRC)の駐日代表と対面し、感謝の思いを伝えた。

 「ここにたくさんの人が逃げ込んだの。うめき声、死体の異臭……。地獄のような場所でした」。広島市南区の「旧陸軍被服支廠(ししょう)」で9月上旬、切明(きりあけ)千枝子さん(91)=同市安佐南区=は当時のまま残るれんが造りの壁を見つめて言った。

 向かい合う相手は、「中立」「人道」を旗印に紛争地の支援活動を行うICRCのレジス・サビオ駐日代表(54)。ICRCはアフガニスタンシリアなどで多くの戦争被害者の救護にあたる。

「死んだら楽になれる」 被爆、そして体調不良 思いつめる日々

 1945年8月6日。切明さんはけがの治療のため、病院に向かっていた時に被爆した。爆心地から約2キロ。一命は取り留めたが、9月中旬の朝、突然髪の毛が束になって抜け、歯ぐきから出血した。青白い斑点が体中に浮き出し、強烈な吐き気に襲われた。「死んだら楽になれる」と思いつめるほど生きる気力を失い、寝込む日々が続いた。

 そんな時、枕元で母親から伝え聞いた。「外国の人が、貴重なお薬を持ってきてくれている」

切明さんは、ICRCのサビオ氏と3時間にわたって話し込みました。「最後にひとつだけ」と伝えたこととは何だったのでしょうか。記事の後半で紹介します。

 母親が近くの救護所で薬を受…

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