東京ラーメン、いつかまたこの地で 神田・栄屋ミルクホール最後の日

有料会員記事

佐藤英彬
[PR]

 コロナ禍のなか閉じる飲食店が相次いでいる。東京・神田で76年続くラーメン店「栄屋ミルクホール」は、地域の再開発もあって、8日が最後の営業となる。昭和風情が残る店がまた一つ消えるが、多くのファンにとって希望もある。72歳の店主が愛された味を残そうと、移転先を探しているのだ。

 「76年間おつかれさまでした」

 こんなねぎらいの声がお客さんから上がる。東京都千代田区神田多町のビジネス街の一角に、まわりとはちょっと雰囲気が違う店がある。深緑の銅ぶきの壁に掲げられた「軽食・喫茶 サカエヤ」の看板の下に、「ミルクホール」ののれんがかかる。店名は栄屋ミルクホールだ。

 閉店を知らせる貼り紙が9月中旬に張り出されると、ネットを中心に驚きが広がった。昔ながらの「東京ラーメン」の代表の一つとして、多くのテレビや雑誌などに紹介された有名店だったからだ。

 閉店をひかえ連日行列ができた。台風の影響で雨が降った1日に訪れた女性(76)は「いま、こういうお店で食べようと思っても難しい。何が何でも来ようと思った」と話す。この日準備した100食分のラーメンは、午前10時半の開店後約2時間で完売した。

 8日も歴史が刻まれた場所で最後の一杯を求め、午前10時過ぎの開店前に数十メートルにわたってファンが並んだ。ある男性(45)は、この1週間ほど通い詰めたという。最後に頼んだのはチャーシュー麺。「記憶に残るほど格別な味でした」と話した。

前身はそば屋、店名の由来は

 店主の高橋栄治さん(72)の両親が、隣町の神田司町で前身となる店を開いた時は、そば屋だった。空襲に遭い1945年にいまの場所に移った。戦後の物資不足でそば粉が手に入らず、店は大衆食堂に衣替え。牛乳のほか丼物やカステラに羊かんを挟んだ「シベリア」といったお菓子なども出した。飲み物やお菓子が食べられるミルクホールとして営業していた。メニューは豊富で、ラーメンも当時からあったという。

 「店内に蓄音機も置いて、学生や社会人の社交場みたいだった」と高橋さんは振り返る。子どものころには、店の前の通りに大八車に野菜を積んだ売り子が行き来した。

 次第にラーメン中心の店になったが、ミルクホールの名前は残った。両親が亡くなると、高橋さんの姉2人が店を支えた。20年ほど前、8人兄妹の下から2番目だった高橋さんに継がないかという話があった。脱サラし、店の2階に住み込みながら切り盛りした。

 ラーメンは、鶏ガラだしのあっさりとしたしょうゆスープが特徴だ。それに中細麺と、厚切りのチャーシューと小松菜、ネギ、メンマを入れる。店を継いだ90年代は空前のラーメンブーム。大手食品メーカーから店名を冠する即席麺やカップ麺も発売された。

 開店に合わせ、仕込みは朝4時から1人でこなした。「自分が管理していないと味が落ちる」との信念からだ。高橋さんは他店を食べ歩き研究を重ねた。スープの味付けも微妙に変えつつ、懐かしい東京ラーメンを受け継ぐ数少ない店となっていた。

 転機は昨年の暮れ。大手不動産会社からマンション建設の話が持ち込まれた。当初は拒んだがもともと借家だ。「うちの土地と建物だったらどかなかった」が、話し合いの末に引き払うことにした。

 昭和文化に詳しいコラムニスト・泉麻人さん(65)によると、神田は80年代からのバブル経済時代に街並みが大きく変わった。それでも大通りから横道に入ると、昭和レトロな雰囲気がいまでも残るところがあるという。「このごろは古い個人商店が再開発に加え、コロナ禍の影響で廃業に追い込まれるケースが出ている。古い街並み好きとしては悲しい」と話す。

 高橋さんもコロナ禍で営業時…

この記事は有料会員記事です。残り876文字有料会員になると続きをお読みいただけます。