「母さん、ごめん」 車いす陸上の大矢勇気、銀メダルにこめた誓い

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阿部朋美
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 何度も壁にぶつかり、夢をあきらめそうになった。それでも、車いすをこぎ続けられたのは、亡き母のおかげだと思う。

 車いす陸上選手の大矢勇気さん(39)は、東京パラリンピックの陸上男子100メートル(車いすT52)で、銀メダルを獲得した。パラリンピック初出場での快挙だったが、表彰台で金メダルを取った選手のアメリカ国旗が掲揚された瞬間、「お母さん、ごめん」と悔し涙をぬぐった。母の洋子さんに、金メダルを捧げたかった。

 勇気さんの東京大会までの道のりは、とても長く、険しかった。

 中学3年生の時、急に文字が見えづらくなり、1・5あった視力が0・1まで落ちた。意識が飛ぶこともあった。病院で検査したところ、脳腫瘍(しゅよう)だった。

 小1から野球に打ち込み、中学時代の夢は競輪選手だった。一番上の兄がけがで競輪選手の夢を断念したため、「兄のためにも」と誓った。だが、脳腫瘍の手術後に高次脳機能障害が残り、医師から「競輪は難しい」と宣告された。

 病室で落ち込んでいる時、母に「競輪だけじゃない。他のスポーツもある」「人生はこれからやで」と言われ、励まされた。

 シングルマザーで兄3人と自分を育てていた母を経済的に支えようと、定時制高校に進学後、兄と工事現場で働いた。

突然の事故「人生終わった」

 高1の冬、その後の人生を大きく変える事故が起きる。解体工事の作業中の時のことだった。

 「あっ」

 足を滑らせ、8階の高さから落下した。危ないと思った瞬間から記憶がない。1カ月意識がない状態が続き、目を覚ました時には、母が自分の名前を必死に呼んでいた。体を起こそうとしたが、体中にピリピリと電気が走るような痛みがあり思うように動けなかった。自分の体に何が起きているのかわからず、パニックになった。

 「今まで通り歩くことはできません」。主治医に骨の模型を見せられ、そう宣告された。脊髄(せきずい)を損傷しており、下半身が動かなくなる――。一緒に説明を受けた母や兄たちもみんな言葉を失い、泣いた。

 「人生が終わった」という思いにとらわれ、自殺することばかり考えた。1年半の入院生活中、頭に浮かぶのは「死」ばかりだった。

 転機となったのは、リハビリ

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