二つの国に生きた生涯、オペラに託した 「韓国の母」思い再び舞台へ

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大部俊哉
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 オペラ歌手の田月仙(チョンウォルソン)さんは在日コリアン2世。両親は現在の韓国・慶尚南道生まれで、父は15歳の時に学徒勤労動員で日本へ渡った。1960年、帰国事業に夢を託して10代で北朝鮮に渡った4人の兄は「政治犯」として収容所に入れられ、次兄は収監中に亡くなった。田さんは音大を目指したが、朝鮮学校卒で受験資格が得られず、願書が次々とはねられるという経験もした。

 音楽を志したのには、父の存在が大きい。自己流で作曲をしていた父の影響で、田さんは4歳のときにピアノと歌を習い始めた。民族学校では民族舞踊に打ち込んだ。こうして芸術家としての礎を固めていった。卒業後、唯一門戸を開いた桐朋学園短大に入学し、声楽を専攻。プロの道に進んだ。

 1994年に初めて韓国で公演した際には、過去に朝鮮籍から韓国籍に変えていたことから「転向歌手」と報道された。「在日という存在が理解されていなかった」と振り返る。

 日本の皇族出身で朝鮮王朝最後の皇太子妃となった李方子(りまさこ)の生涯を描いた作品の構想を始めたのは、芸歴20年を過ぎたころだった。方子は日韓併合後、李垠(イウン)皇太子と政略結婚。終戦で身分も国籍も失ったが、その後、夫妻で移り住んだ韓国で障害者福祉に尽力し、「韓国の母」と慕われた人物だ。二つの国のはざまで時代に翻弄(ほんろう)されたその足跡に、自分や両親の姿が重なるように思えた。

 田さんは「皇族として生まれ…

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